土方与志
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土方 与志(ひじかたよし、1898年(明治31年)4月16日 - 1959年(昭和34年)6月4日)は日本の演出家である。築地小劇場を拠点に新劇運動を興した。
東京生まれ。本名は土方久敬で、祖父・土方久元は土佐藩出身で伯爵となった人物。維新後、宮内大臣・宮中顧問官・枢密院顧問官・国学院学長などを務めた。父・久明は軍人だったが、1898年に自殺している。
学習院から東京帝国大学国文科に進むが中退。山田耕筰の紹介で演出家小山内薫に師事し、舞台演出を学んだ。小規模ながら回り舞台や照明設備を備えた舞台設備を自宅内に造り、仲間とともに研究に励んだ。1922年演劇研究のためドイツに留学。翌年、関東大震災の報を聞くと帰国し、小山内薫とともに築地小劇場を開設した。
築地小劇場はチェーホフやゴーリキーなどの翻訳劇を中心に新劇運動の拠点となった。
小山内の死後、1929年に築地小劇場は分裂するが、新築地劇団により社会主義リアリズムに基づく演劇を志向、1932年に検挙を受けた。翌年日本プロレタリア演劇同盟の代表としてソ連を訪問、亡命。これが原因となって1934年に爵位を剥奪されている。しかし、1937年スターリンの粛清の一環で国外追放処分を受けヨーロッパに移住。1941年に帰国するも投獄されてしまう。
終戦後、出獄し日本共産党に入党。前進座や舞台芸術学院で演劇の復興にあたった。
妻、梅子は三島通庸の孫。叔父(久元の弟の子)に当たる土方久功(1900-1979年)は東京美術学校彫刻科卒業。築地小劇場のマーク(一房の葡萄)をデザインした。