国際日付変更線
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国際日付変更線(こくさいひづけへんこうせん、International date line)は、日付の更新の矛盾を防ぐために海上に設けられたほぼ東経180度(西経180度)の地点を結ぶ架空の線。単に日付変更線ともいう。
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[編集] 概要
経度で15度違う地域では、1時間時刻が異なる。旅行者が、15度移動するたびに時計の針を1時間ずつずらしていくと、世界一周したとき、時刻は正しいが日付が1日異なることになる。これを防ぐため、西から東にこれをまたぐ場合、日付を1日戻し、東から西にまたぐときに日付を1日増やす。
このため、国際日付変更線をまたいだとたん、前日に戻ったり、一瞬で計算上、24時間後になったりする。実際、オセアニアの航空路線の中には、実際のフライト時間としては6時間未満なのに日付が2日後になったり、逆に前日にカレンダーを戻したりするものも少なくない(たとえばエア・カナダのシドニー発ホノルル行き航空便は、到着地で日付を前日に戻す)。
国際日付変更線は海上に設定され、隣の町や村で日付が変わるなどの不便がないようにしている。 また、この線はどこかの機関が制定、届出、認可をしているものではなく、日付変更線付近に存在する国や地域が国内法で定めるものにすぎない[1]。
日本はたまたま国際日付変更線のすぐ西にあるため、世界中でもかなり早く日付が変わる国になっている。たとえば、日本で誕生日を祝ったあと、すぐに飛行機でハワイに飛ぶ。すると、まだ前日なので、日付が変わってからもう1回誕生日を祝ったりする。
なお、かつてはキリバス共和国の領土上を通過していたが、1995年にこれを是正した。これにより、現在最も早く日付が変わる国はキリバスとなっている。
[編集] 歴史
マゼランの世界一周の航海のときに、この日付の矛盾が発覚した。乗組員がスペインに降り立ったとき、彼らが記録していた日付とスペインの日付が1日ずれていた。そして、乗組員たちは、自分たちの日付が正しいと主張した。このときには大騒ぎになり、ローマ教皇のところに使者が出される事態にまで発展した。
この矛盾は現在では容易に説明がつく。つまり、マゼラン一行は地球の自転とは逆向きに世界を1周したのだから、地球が自転した回数よりも彼らが地球のまわりを回転した回数が1周少ないはずである。つまり、彼らが見た日の出の回数は、スペインにとどまっていた人々が見た回数より1回少なくなる。
もし、一行が逆の向きで世界一周をしたならば、一行は地球の自転の回数に加え、さらにもう1回回転してしまったわけだから、日付は1日減らさなければ他の人々と日付が合わない。
[編集] 日付変更線が登場する作品
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] 80日間世界一周
日付変更線をうまく利用した小説が、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』である。この物語の中で、80日で世界一周ができるかどうかの賭けが行われた。途中トラブルがあり、予定より1日遅く、81日目に主人公たちは世界一周の旅を終えて戻った。しかし、実際の日付は80日後だった。これは国際日付変更線がまだ一般的でなかった時代に、これをトリックとして使ったものである。