国司元相
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国司 元相(くにし もとすけ、明応元年(1492年) - 天正19年12月28日(1592年2月11日))は、日本の戦国時代の武将で、安芸の毛利氏の家臣。国司有相の子。妻は渡辺勝の娘。後妻は桂広澄の娘。子は元武。
国司氏の祖先は高師泰の子師武である。師武は観応の擾乱で高氏が凋落したさい、師泰と縁のある毛利氏を頼って安芸に下向し、高田郡国司荘に土着し国司姓を名乗った。
元相は、毛利元就の重臣として仕えた父有相の跡を継いで1542年に家督を相続した。 毛利隆元に一字を与えられるほど信任され、山口へ同行したり幕府への使者を務めたり活躍している。1550年に五奉行制が成立すると奉行人に名を連ねている。
1591年、100歳という高齢で亡くなった。