商人
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商人(しょうにん、しょうひと、あきんど、あきゅうど)
- しょうにん。商業を職業とする者。商売を商い(あきない)ともいうことから「あきんど」と読むこともあるが、くだけた読みであり、公式の場では用いない。本稿で後述。
- しょうにん。商法学における基本概念の一つ。本稿で後述。
- しょうひと。中国の古代王朝の一つである商(殷)の国民若しくは出身者、又は彼らの子孫。中国で最も早くから、ある場所で安価で購入した物資をその物資に乏しい別の場所で高価で売却して差益を稼ぐことを生業とする者が現れた民族といわれており、上述した「しょうにん」の語源となったと言われているが、これは俗説のようである。
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[編集] 商業における「商人」
商人(しょうにん)とは、商品を他の商品あるいは貨幣との間で行われている物々交換を行う作業を仲介する職業を商業と呼び、それに従事する者を指す。
朝鮮半島、中国のような儒教文化圏においては両班、進士などの読書階級を尊び、農業を尊んで商人を過度に卑しい人間と見なす慣習(農本主義)があり、商人において自尊心を保つことが困難な状況にあった。このためこれらの地域では、日本や西ヨーロッパで発達した商道徳が未発達であった。従ってこれらの地域では信用取引などの制度の発達が遅れた。
日本史学界では、古代日本には商人がいなかったとするのが通説ではあるが、これは古代日本に商業が存在しなかったという意味ではない。当時にも大規模な商業・流通網が存在したと推測はされるものの、それは主として豪族などの支配階層が従事・関与していたために商業を専業として従事する独自の階層が出現しなかったという意味である。日本の律令で皇親・五位の官吏の商業従事を禁じているのは、これらの階層が権力を利用して商業活動をして巨利を貪る事を防止する意図があった。逆に中国や朝鮮半島と異なりそれ以下の官吏に対して禁じなかったのは彼らの出身母体である中小豪族層が商業を兼業している現実を追認したものであると言われている。律令制下の都には東西に市が設置され、そこに市籍と呼ばれる戸籍を有する「市籍人」と地子を納める代わりに商売を許された者がいた。
日本で独立した商人階層が形成されるのは、律令制と中小豪族が没落する平安時代中期以後であるとされる。市以外の場所で商売を行う者が出てくるようになる一方、有力な権門と結びつく者も現れるようになる。貞観6年(864年)に市籍人が貴族や皇族に仕える事を禁じた命令が出されている。やがて、有力権門や寺社の雑色・神人などの身分を得てその権威を背景に諸国と京都を往復して交易を行うようになる。やがて、権門や寺社を本所として仰いで奉仕の義務と引き換えに諸国通行自由・関銭免除・治外法権などの特権を保障された集団「座」を結成するようになった。
[編集] 商法学における「商人」
[編集] 意義
日本の商法において商人(しょうにん)とは、「自己の名を以て商行為を為すを業とする者」をいう(同法4条1項)。ここにいう商行為とは、絶対的商行為(同法501条各号)又は営業的商行為(同法502条各号)をいい、これらを基本的商行為という。「自己の名をもって」とは、自己が法律効果の帰属主体となる旨を表示することをいう(代理を参照)。また、「業として」とは、少なくとも赤字にはならないことを目標として反復継続する意思で行うことを意味する。これらの条件を満たす者が商人ということになる。このほか、店舗その他これに類似する設備によって物品の販売をなすを業とする者(同法4条2項前段)、鉱業を営む者(同項後段)、並びに商行為をなすを業としない会社(これは民事会社と呼ばれ、有限会社法2条、商法52条2項に規定がある)も商人とみなされる。これらは講学上擬制商人(ぎせいしょうにん)と呼ばれる。
「商人」という概念を考えるのは、日本の商法は対象者が商人であることを法律要件(適用するための条件と考えればよい)の一つとしている規定が数多く存在することに由来する。これは、そもそも商法(実質的意義の商法)が商人の活動ないしは商行為の特質をふまえて民法を修正する目的で形成されてきたという歴史的経緯からすれば、むしろ当然のことであり、それゆえ、商人は商法学の基本概念の一つとされている。
資本金額50万円未満の商人(会社を除く)は「小商人」と呼ばれ(商法中改正法律施行法3条)、商業登記、商号及び商業帳簿に関する規定は適用されない(商法8条)。
信用保証協会(最高裁昭和42年10月6日判決民集21巻8号2051ページ)、信用金庫(最高裁昭和63年10月18日民集42巻8号575ページ)や信用協同組合(最高裁昭和48年10月5日判例時報726号92ページ)は、日本では商人ではないとされている。
[編集] 商行為法主義と商人法主義
上述したとおり、日本の商法はまず商行為の概念を定義し、これをなすことを業とする者として商人を定義しているから、商人という概念よりも商行為という概念の方がより基本的な概念である。このように、商行為という概念を商法の適用範囲を画する基礎に置く立法姿勢を、商行為法主義(しょうこういほうしゅぎ)という。これに対して、商法の適用対象を「商人」として規定する立法姿勢を商人法主義(しょうにんほうしゅぎ)という。中世における階級法としての商人法とは意味が異なる。
日本においては、国家学者ロェスレルによって起草された旧商法はフランス商法典、明治32年商法は普通ドイツ商法典(Allgemeines Deutsches Handelsgesetzbuch)といずれも商行為法主義を採用した商法典が基礎におかれている。そのため形式上は商行為が基礎概念となっているが、商人法主義も一部取り入れられている(これはロェスレルによるところが大きい)。本項の冒頭で日本の商法は商行為法主義を採用するといいながら、前項で対象者が商人であることを法律要件の一つとする規定が数多いともいったのは、この折衷主義が原因である。
ドイツ商法典は現代的意味での商人主義を採用している。戦後の民法学・商法学はドイツ法の影響を大きく受けており、日本商法も商人主義的に解釈すべきとの潮流があった。その結果、商法501条・502条に列挙された商行為は限定列挙である(ここに掲げられたもののみが商行為であり、例示的に列挙されているわけではない)と考え、商行為の範囲を拡張すべきでないとの態度を取る。