古代核戦争説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
古代核戦争(こだいかくせんそう)とは、有史以前の地球に我々の知らない高度な文明が栄えていたが、核戦争により滅亡したとする説。
常識的な歴史観に反するため正統派考古学者の間ではまともな論議な対象となっておらず、これまで学術的な分析も行われていない。分析が行われていない以上、当然ながら科学的な根拠も存在しないので、現時点では単なる仮説と見なされ、オカルトや擬似科学、SFの題材として扱われることが多い。
目次 |
[編集] 概要
地球上には四大文明以前にも、それらをしのぐ(中には、現在の文明をも凌ぐと主張する者も居る)「超文明」などと呼称される文明(超古代文明)が存在していたが、自らが起こした核戦争によって跡形もなく滅亡。現在最古と考えられている文明はその後に再興してきたものに過ぎないと主張する説。あまりに特異なテーマであるため正統派科学者からは黙殺され、学術的な分析も行われていない。 海外では、イギリスのデヴィッド・W・ダヴェンポートとイタリアのエットーレ・ヴィンセンティ、ピーター・コロシモ、日本では橋川卓也らが主唱している。
肯定論者は、多くの神話(『創世記』、『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』など)の描写には古代宇宙飛行士説 と核戦争と解釈可能な記述があると主張したり、モヘンジョダロなどにおいて核戦争の痕跡と思われるオーパーツもいくつか発見されている、などと主張している。
しかしその多くは恣意的な解釈であったり物証に乏しく、また長期にわたる気候変動などを度外視した主張である等、学術的な議論には達しておらず、一般的な考古学会からは相手にされていない。
また火星についても、かつては地球と同様の気候で火星人が文明を築いていたが核戦争で滅亡し、核の冬によって現在の気候になったとする説がある。
[編集] 論拠
[編集] 1.文献
核爆弾が空中で爆発すると、数百万度という超高温の火球が出現し、超高温の熱線と致死量の放射線が周囲に放射される。同時に空気が一気に加熱されることで爆発的に膨張し、衝撃波が発生する。この衝撃波が地表に達すると、地表の土や埃が舞い上がるため、地表ではあたり一面が暗くなる。さらに、爆発時の放射線により土壌等が汚染され、放射能を持つようになる。
紀元前10世紀頃に起きた大戦争を語り伝えた「バラタ族の戦争を物語る大叙事詩」を意味する『マハーバーラタ』をはじめとする古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』、『リグ・ヴェーダ』には、この大気圏内核爆発を想像させる記述が見つかっている。
-
-
- 超高温の火球=太陽が一万個集まった光り輝く柱
- 強烈な熱線=池の水が蒸発、猛火に焼かれた木々のように倒れる戦士たち、火傷で逃げまどう戦象、灰と化す住民
- 衝撃波=恐ろしい風、うなる雲、揺れ動く太陽
- 衝撃波で舞い上がる土埃=方向感覚を見失うほどの濃い闇
- 放射能汚染=髪の毛や爪が抜け落ちた死体、毒された食物、鎧を脱ぎ捨てて体を水で洗う生存者
-
以上のように、記述は具体的で、広島での被爆体験談とも酷似しており、とても想像だけで書いたとは考えにくいというのが肯定論者の主張である。
これに対して、正統派考古学者の見解としては、これらの記述は古代人の想像の産物に過ぎず、描写が似ているのは単なる偶然の一致か、後世の書き込み、あるいは核兵器のことを知っている現代の翻訳者が意図的に翻訳したとの立場を取っている。
なお、『ラーマーヤナ』の英語訳は1920年代であり、アメリカが核爆弾の爆発実験に成功するのは1945年7月、広島への核爆弾投下は1945年8月である。
当時、正統派研究者から単なる伝説に過ぎないと考えられていたギリシャ神話の記述を信じて、実際に古代トロイ戦争の遺跡を発見したシュリーマンの前例もあり、古代の伝説だからといって、簡単に否定できないのも事実である。
[編集] 2.モヘンジョダロ遺跡
インドの古代都市モヘンジョダロの遺跡は周囲5平方キロの広大な遺跡であるが、現在発掘が進んでいるのは全体の4分の1ほどの地域である。
古代核戦争の研究者ダヴェンポートは、発掘対象から外れていて、現地の住人が「ガラスになった町」と呼んで近づかない場所を訪れたと報告している。(あまり一般に知られていないのは、モヘンジョダロが広大な遺跡であり、その発掘には地元住民の協力が不可欠であるが、この「ガラスになった町」は、地元でもタブー視され協力を得にくいという事情もあるためらしい)
そこは、黒いガラス質の石が、800メートル四方をびっしり覆っているという場所で、黒いガラス質の石は、高熱で溶けた砂が再固化したものと判明している。 付近では、この他に溶けてくっついたレンガや、ねじ曲がったり気泡が混じってガラス化した壺の破片などの遺物も見つかっている。
これらの高温加熱遺物やガラス化した地域については大規模な火災、火山の噴火などの諸条件が偶然重なって起きたまれな現象である、というのが正統派考古学者の見解であるが、残念ながらモヘンジョダロ遺跡のあるインダス川流域において、大規模の火山活動の痕跡は確認されていない。
このような広範な範囲の砂が溶けてガラス化するという現象は、これまで自然界では見つかっておらず、同様の風景は、今のところ地表で核実験が行われた場所(砂漠)でしか見つかっていない。
また、壺が原形を保ちながら溶けかかった状態で固まるという現象は、超高温の熱線が極めて短時間に照射された状況を想定しない限り考えにくい。というのも、高熱にさらされる時間が長ければ、完全に溶けて原形を失ってしまうし、逆に、温度が低ければ大きな変形は起きないからである。
なお、広島市にある広島平和記念資料館には、これらの遺物同様半ば溶けかかりながらも原形を留めたガラス製の一升瓶や、表面のみが溶けた瓦などが展示されている。
ダヴェンポートは、モヘンジョダロで発見された遺物をローマ学科大学に持ち込み、ブルーノ・デイ・サバティーロ教授(火山学)、アムレート・フラミーニ教授(岩石学研究所)らに分析を依頼した。その結果、問題の遺物は、1000度から1500度の高温で短時間に加熱されたらしいという結果が出たと報告している。
[編集] 参考文献
-
- 人類は核戦争で一度滅んだ(橋川卓也)
- 人類は古代核戦争で一度滅亡した(並木伸一郎)