南部信民
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南部 信民(なんぶ のぶたみ、天保4年(1833年)5月 - 明治33年(1900年)3月15日)は、陸奥国七戸藩の第3代藩主。南部信也の四男。正室は前田利加の娘・睦子と細川興建の娘。官位は従五位下。美作守。
1833年5月生まれ。先代藩主・南部信誉の養嗣子となり、1862年の信誉の死去により後を継いだ。幕末期の動乱の中では本家の盛岡藩と行動を共にし、1868年の戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加する。そして新政府側に寝返った弘前藩と戦うなどして活躍した。しかしそのため、戦後に新政府より罪に問われて1000石の領地削減と、養嗣子の南部信方に家督を譲って強制隠居するように命じられてしまったのである。
しかし後を継いだ信方は若年だったため、信民が実際の藩政をなおも取り仕切り、牧畜や養蚕などの産業を奨励し、教育普及に尽くすなどしている。1900年3月15日、68歳で死去した。