北平柳村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
北平柳村(きたひらやなぎむら)は、埼玉県北足立郡に存在した村。
1901年(明治34年)5月3日、鳩ヶ谷町に吸収され、消滅。
[編集] 地理
- 埼玉県中央(北足立)地域の南部にあり、南東側を東京府(現:東京都)と接する。
- 西側を、芝川が北から南に流れる。2005年(平成17年)現在、この地域の南部を新芝川が西から東へ流れているが、これが開削されたのは北平柳村廃止以降である。
- ほぼ全域が低地となっているが、鳩ヶ谷町に近い北部の一部には台地もみられる。
- 日光御成街道(現在の国道122号・県道105号)が南北に貫いている。
- 2005年(平成17年現在)における鳩ヶ谷市の北東部を除く地域、即ち大字里、大字辻、大字前田、南、緑町、三ツ和、八幡木がほぼ旧村域にあたるが、桜町1丁目、坂下町1丁目・4丁目付近も含まれており、現在の住居表示から村域を見るのは困難である。
[編集] 歴史
- 1877年(明治10年)7月 - 中居、小渕、上新田の三箇村が合併し、三ツ和村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に並行して三ツ和、辻、里、前田の四箇村、及び浦寺村の飛地が合併し、北平柳村が成立。村名中の「平柳」は中世のこの地区の武士の氏の名称にもみられる。南側には南平柳村(現:川口市南部)も存在した。
- 1901年(明治34年)5月3日 - 同郡鳩ヶ谷町に編入され、北平柳村は消滅。