Wikipedia:削除依頼/暦
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[編集] 暦 - ノート
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議論の結果、存続 に決定しました。 --Brevam 2005年8月17日 (水) 06:00 (UTC)
定義部がGoo辞書の記述と酷似[1]。--6144 2005年7月22日 (金) 23:28 (UTC)
- (コメント)2004年11月21日以降の版の特定版削除でいいように見えます。その後の追加はほとんどがinterwikiの変更等なので執筆者名表記なしで残す方向で。Modeha 2005年7月23日 (土) 13:57 (UTC)
- (コメント)これはかなり難しい問題だと思います。以下のようなコメントを記したのですが、存続か特定版削除かの判断が付きませんでした。今後の判断の基準にもなりえるので、慎重な審議が必要と思います。次のように最初、書きました: ……酷似とは言えません。確かに似ているとは思えますが、この類似性は、この版 の記載から始まっています。「年・月・週・日」というような単位は、しかしきわめて一般的な順序記述です。また上のリンクの文の記載者は、それ以外にも独自性のある説明を記載しています。GOO の辞書の記述を下敷きにした虞がなきにしもあらずですが、「部分的改変による転載」というには、短かすぎるのと、これで独自の説明文と考えるのが妥当と思惟します(転載転用の可能性はあるのですが、その場合でも、「短いのと、表現に創意工夫をして変化を与えている」ので、safe になると思います。偶然に類似したという可能性もありえます)。……と以上で、「存続」にしようと思ったのですが、考えれば考えるほど、転用したと思えてきます。転用だとすると、どこまで変化させれば、safe なのか、判断が難しく、コメントにします。Maris stella 2005年7月23日 (土) 14:30 (UTC)
- (存続)以前も主張しましたが、辞書の内容はそれ自体が創作性を有するものではなく、データベースとなって初めて著作物と認められるものだと思います。この内容ならば問題とはならないでしょう。だいたい、ほとんど同じことが書いてある辞書同士でさえ問題となった事例を知りません。YAMAARASHI 2005年7月24日 (日) 12:11 (UTC)
- (コメント)
何を言っているのかよく分からないのですが、間違った認識が流布されると困るので訂正します。「辞書の内容はそれ自体が創作性を有するものではなく」と断言されておられるようですが、それは間違いです。辞書の項目説明は、創造性を持ち、著作物に該当します。それは、辞書の編纂ということが、どういう作業かということを考えれば出てきます。辞書・辞典の編纂は、「コーパス」と呼ぶ、単語の「用例集」をまず蒐集して作成することから始まります。このコーパスの用例集を元に、従来の意味解釈も勘案して、辞書編纂者が「言葉の意味・定義」を独自に考察し、これを簡潔に明瞭に記したものが辞書の定義記載です。辞書・辞典の記載は短いですが、オリジナル辞典の場合は、その短い記載の背後に膨大な資料と資料吟味があり、執筆記事も綿密な推敲を経ているので、これは歴然とした著作物なのです。Maris stella 2005年7月24日 (日) 12:45 (UTC) - (コメント)私の主張は、辞書の内容は著作権法第十二条による編集著作物だというものです。判例があれば提示していただけると有難いのですが。「辞書編纂者が「言葉の意味・定義」を独自に考察」したことを証明するのは事実上不可能ですから、このように解釈しなければ辞書を著作物として保護することは不可能でしょう。だいたい、「思います」と言っているのに「断言している」というのは文章を読んでいないとしか思えないのですが。YAMAARASHI 2005年7月24日 (日) 19:34 (UTC)
- (コメント)
辞典の項目は、その節部分なども含めて「著作物」です。更に辞典全体として「編集権」が生じ「編集著作物」となります。「辞書編纂者」とは特定の個人のことではありません。共同著作物であろうと、また記事の実際の起草者から契約において、発行者または代表編纂者が著作権を譲り受け所持するとしても、誰が著作権を持つかに関係なく、個々の項目も全体も、著作物です。「思います」という程度の軽率な判断で、「存続」票を入れるのですか? 確信がなければ、そもそも著作権問題で判断などくだすのはおかしいでしょう。「存続」としながら、その根拠は「私念・臆断」だというなら、無責任この上ないとしか言いようがありません。Maris stella 2005年7月24日 (日) 20:19 (UTC) - (コメント)裁判官でない限り断言することは不可能だと思いますが。むしろ自分の判断が絶対であるという主張の方が無責任であると考えます。さて、判例の提示は行われなかったので、これにてこの議論を終了します。双方に絶対的な根拠がないのであれば、多数決に任せるのが良いでしょう。YAMAARASHI 2005年7月24日 (日) 21:22 (UTC)
- (コメント)
見解Maris stella 2005年7月24日 (日) 21:53 (UTC)
- (コメント)「必然的である」という判断自体が「あなたの個人的な解釈」なのです。いくらあなたが必然だと思っても、ウィキペディアにおいては多数決には従わなくてはなりません。それを否定するのであれば、あなたにウィキペディアに参加する権利はありません。司法判断を行うのは裁判所であり、あなたではありません。YAMAARASHI 2005年7月24日 (日) 22:05 (UTC)
- (コメント)わたしは間違っているとは思いませんが、議論する場ではないので、訂正線で撤回します。また失礼とも見える表現は、コメント・アウトさせて戴きました。ご了承願います。Maris stella 2005年7月25日 (月) 10:14 (UTC)
- (存続)類似点はあるものの権利侵害を主張されうるほどの一致性はなく、削除の必要性は薄いと考えます。ただし、他の辞事典と類似しているというのは道義的によろしくない面もありますので、独自性の強い文章へと改変が行われることを望みます。Birdman 2005年7月29日 (金) 11:08 (UTC)