八卦掌
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八卦掌(はっけしょう、Baguazhang)とは、中国武術の内家拳の一つ。現在は分派により、八卦六十四掌、遊身八卦連環掌、揉身八卦遊身掌など様々な呼び方があり、「八卦掌」はそれらの総称である。名称からわかるように、動作の根本原理を周易の八卦思想で説明しているが、それらの理論は当然後世に構築されたもので、成立当初には無かったと考えた方が良い。
成立年代は19世紀の前半(清朝後期のころ。)と言われており、創始者は紫禁城あるいは粛親王府の宦官であった董海川とされる。当時、董海川自身が「八卦掌」という名称を用いていたかどうかは定かでなく、その名称自体は後世になってから定着したものと考えられる。
源流を道教の修行法とする人や他の拳術とする人もいるが、実際の所はわからない。成立過程の一つに羅漢拳が挙げられることもある。八卦拳を標榜する派、特に宮宝田派がこの説にこだわっている。二代目の尹福が羅漢拳を身につけていたからだが、開祖の董海川が羅漢拳を身につけていた形跡は見られないので、これも一つの伝説にしか過ぎないと言える。董一族の住処であった村に八番拳というものが伝えられており、これが八卦掌の源流ではないかと北京体育大学の康戈武教授が論文を書いている。この八番拳に道教の円を巡る修行法・禹歩が加えられ走圏となったのではないかと推測している。また八番拳の套路には八大母掌との共通性が見られるという。 かなり濃厚な説だが証明は難しい。
他門派に比べて新しいこともあり、八卦掌の技術は他門派の優れた技術を多く取り入れている節がある。八卦掌は、他の「内家拳」門派と比べて練習体系が公開されていない為か、他の門派よりも一層神秘的に見られていることが多く、また動きが優雅なので誤解が多いが、実際には極めて攻撃的である。変化に富むのが特徴で、一般的に太極拳は柔らかい、形意拳は剛直と見られており、太極拳は柔を表す皮革球、形意拳は剛を表す鉄球に喩えられ、八卦掌は鋼の糸を編んだ鉄糸球と喩えられるが如く、剛でもあり柔でもある。
形意拳一門と八卦掌一門が試合をしたとき全く勝敗がつかなかったため両者が話し合ったところ、共に同じ原理に基づく武術であると分かり、その後互いに相手の武術も修行することになったとの伝説が語られている。おそらくは程廷華が形意拳家と多くの交流をもったために生じた伝説だが、程廷華の交友関係により形意拳との交流が多くなり、歴史的にも技術的な影響を形意拳から受けている派が多くなったことは事実である。
八卦掌は名前の通り「拳」(こぶし)よりも「掌」(てのひら)を多用するのだが、掌に限定するわけでなく拳も用いられる。掌の形も、相手をつかんだり攻撃を流しやすくするために指先を大きく広げて構える形や、隠し武器(暗器)や指先で相手の急所を突くために指先をそろえて構える形など、門派により様々である。
技の数は非常に多く、一見踊りを踊っているようにも見える動作には、非常に効果的な攻撃方法が含まれる。また、技の数は多いが、その中で一つだけ「A」という技だけをピックアップして練習することもできる一方、全く違う「B」や「C」などの他のあらゆる技と組み合わせて練習することも可能であり、動作を次々と移ることもできるように作られているという特徴を持つ千変万化の拳法といわれる。多くの中国拳法がそうであるように八卦掌の身法もまたそのまま武器術(特に刀術)に応用することができる。
北京の故宮で皇帝のボディーガードをするために工夫された、特徴的な武器や暗器も多い。
はじめに基本動作である「走圏 (Zouquan)」・「八大掌」を練習し、その後さまざまな套路(型)や武器術を学ぶ。
套路には、老八掌、新八掌、連環掌、遊身掌、九宮八形掌、八面掌、龍形掌、六十四手などがある。(各門派により套路の内容、練習体系、名称に違いがある。)
[編集] 門派
八卦掌の門派は甚だ多い。 その理由としては、董海川の元に集まった各地の達人たちに対して、董海川は各達人がそれまで学んできた武術にあわせて教授した点が挙げられる。よって、投げ技が主体の門派や打撃が主体の門派など、門派によって動作に大きな違いが見られる。 代表的な門派に、尹福が創始した尹氏、程廷華が創始した程氏、また、梁振圃が創始した梁氏八卦掌など。更に尹福の系統には「八卦拳」という派もある。