佐竹隆義
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佐竹 隆義(さたけ たかよし、1118年(元永元年) - 1183年6月11日(寿永2年5月20日))は平安時代末期の武将。佐竹氏の第2代当主。新羅三郎源義光の曾孫で、初代当主・佐竹昌義の子。
初名は詮義。通称は佐竹四郎。常陸奥7郡を領した有力者で、源氏の血統者であるが、平治の乱では平清盛側に与した。その後も平氏に仕えて功を挙げたため、清盛の奏請によって従五位に叙任された。1180年、源頼朝が挙兵すると、清盛から恩を受けていたことから頼朝と敵対し、関東における頼朝の行動を牽制したが、老齢のために1183年、66歳で死去した。後を子の佐竹秀義が継いだ。