伽耶院
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伽耶院 | |
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本堂(国重文) |
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所在地 | 兵庫県三木市志染町大谷410 |
山号 | 大谷山(おおたにさん) |
宗派 | 本山修験宗 |
本尊 | 毘沙門天 |
創建年 | 大化元年(645年) |
開基 | 法道仙人、孝徳天皇(勅願) |
別称 | 大谿寺伽耶院 |
文化財 | 本堂・多宝塔・三坂明神社(国重文) |
伽耶院(がやいん)は兵庫県三木市にある天台系修験道の寺院。山号は大谷山(おおたにさん)。宗派は本山修験宗。本尊は毘沙門天。新西国二十六番霊場。山伏の寺として知られる。
目次 |
[編集] 歴史
寺伝では孝徳天皇の勅願寺として、645年に法道仙人が開基したとされる。以来大谿寺(だいけいじ)と称していたが、1681年に後西上皇の勅により仏陀伽耶に因む寺号、伽耶院と改めた。
法道仙人は天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したとされる伝説的な人物である。現在の兵庫県南部を中心に法道開基伝承をもつ寺院が点在することから、「天竺から飛来」云々はともかく、モデルとなる山岳修行者が存在したことは想定される。法道開基伝承をもつ他の寺院と同様、伽耶院についても草創の正確な時期や経緯については判然としない。
平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊舎をもち花山法皇の行幸があったと記されるなど隆盛を極めたが、安土桃山時代の羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれことによる兵火により、また1609年には失火により、城塞のような石垣を残して全山を焼失した。現存する堂塔は1610年以降の諸国大名の寄進によるものである。
[編集] 建築物
- 本堂 ― 重要文化財、慶長15年(1610年)建立との伝えもあるが、解体修理時の所見や墨書等から正保3年(1646年)の建立と思われる。堂内に毘沙門天像を安置する。内陣と外陣を格子戸と欄間で分けた密教仏堂形式。
- 多宝塔 ― 重要文化財。正保5年(1648年)築。小倉城主・源忠真(小笠原忠真)の寄進。弥勒菩薩を安置
- 三坂明神社 ― 重要文化財。江戸時代前期。三坂大明神を祀る
- 二天堂(中門) ― 1651年築。持国天・多聞天の二天像(慶安年間の作)を安置
- 開山堂 ― 1656年築。丹後峰山城主・京極右近源高供寄進。法道仙人像安置
- 行者堂 ― 1630年築。土佐高知城主・山内忠義の寄進。役行者像を安置
- 山門
- 仁王門 ― 秀吉の焼き討ちで頭部と脚部を焼失した仁王像を安置
- 臼稲荷社
- 庫裡
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財
- 本堂 附:宮殿
- 多宝塔
- 三坂明神社本殿 附:石燈籠2基
- 木造毘沙門天立像 ― 平安時代末期
[編集] その他
- 弁財天 ― 1696年の胎内納入文書あり。八臂の坐像。
- 愛染明王 ― 室町時代
- 三宝荒神
- 千手観音 ― 寛文12年の年記と洛陽大佛師運松作の墨書がある
- 不動明王 ― 平安時代末期
- 薬師如来 ― 江戸時代、厨子内に安置
- 十一面観音
- 水子地蔵
[編集] 行事
- 1月1~3日 ― 修正会
- 1月15日 ― とんど祭り(さぎちょう)
- 5月8日 ― 花祭
- 8月23.24日 ― 万燈会(地蔵盆)
- 10月第2月曜日 ― 採燈大護摩供
[編集] 札所
- 新西国三十三箇所観音霊場第26番
[編集] 拝観情報
- 入山料 - 草ひき十本
- 所在地 - 〒673-0513 兵庫県三木市志染町大谷