仁村薫
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仁村 薫(にむら かおる、1959年5月9日 - )は埼玉県川越市出身。昭和後期から平成期(1980年代)のプロ野球選手で現在は中日ドラゴンズトレーニングコーチ。情熱と闘志の人で、落合博満監督とは現役時代に中日で一緒にプレーし、お互いを熟知する仲。外野守備コーチやフィジカルコーチ時代は“トーキングコーチ”のニックネームがついたほど選手とコミュニケーションを取るのが得意である。またベンチでは相手チームを野次る事に徹し野次将軍としても名を馳せた。
弟の仁村徹もプロ野球選手で、兄弟揃って中日ドラゴンズの選手・コーチとして在籍したことがある。ナゴヤ球場ではそれぞれ仁村兄、仁村弟と表記された。
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[編集] 来歴・人物
川越商から早稲田大学を経て、1981年のドラフト6位で巨人に投手として入団し、すぐに外野手に転向。1987年のオフに自由契約となり、弟のいる中日に無償でトレードとなった。
翌1988年は弟と共に2軍スタートだったが、1軍に昇格するや否や代打や守備固め、左投手が先発のときのスタメンなどで活躍し、弟と共にこの年のリーグ優勝に貢献した。1990年限りで現役を引退し、引退試合ではナインから胴上げされた。
その後、家業を継ぎながらメ~テレ・東海ラジオで野球解説者を務めた後、1995年に巨人の2軍外野守備・走塁コーチに就任。1997年オフに巨人を退団後、中日の2軍野手総合コーチに就任し、同時に2軍監督となった弟を補佐した。1999年は1軍外野守備・走塁コーチとしてリーグ優勝に貢献。以後、フィジカル部門を担当し、2002年のオフに一旦退団したが、2003年オフ、落合監督就任に伴い復帰し現在に至る。
[編集] 通算成績
- 396試合 394打数91安打 15本塁打 60打点打率.230
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
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