二眼レフカメラ
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二眼レフとは、実写用のレンズと同等のレンズをファインダー用に用意して連動させる事によりピント合わせを行うタイプのカメラ。
それ以前にも似た構造の物はあったが、二眼レフの最初は1929年にドイツで発売されたローライフレックス(ローライ製)である。これはローライがそれ以前に出していた三眼式ステレオカメラから撮影レンズを一つ取る形で開発された。最初の機種の時点でスタイルは洗練・完成しており、その後発売された二眼レフの殆どはローライフレックスやローライコードの形式を踏襲したものである。
初期の一眼レフに比べると、ピント合わせの後に正確に絞り込むという作業が要らないという利点があり(自動絞りもプリセット絞りも無かった時代は)、また一眼レフ特有のブラックアウトやミラーの上げ下げによるショックなどもないが、フルスペックのレンズが二つ必要なためボディが大きくなりがちである。また構造上、近接撮影ではパララックス(視差。ファインダーで見た像と撮影される像のずれ。)が大きくなるという欠点もある。
フォールディングできるものやレンズ交換が可能な機種も極少数(マミヤプロフェッショナルCシリーズなど)存在する。ブローニーフィルムを使用するものが多数を占める一方、極めて少数ではあるが35mm(135フィルム)を使用するものもある(二眼レフ型コンタフレックスやサモカフレックスなど)。
戦後の日本において、安価で高性能だったリコーフレックス III(1950年)が発端となって二眼レフの大ブームが起きた。 [1] 製造者側にとっても、構造が単純で簡単に組み立て可能、しかも型落ちの大手メーカー製ボディーやリコーが大量製造したレンズ、あちこちのメーカーで濫造されていた各種シャッターなどが手軽に手に入ったため、いわゆる「四畳半メーカー」と呼ばれる零細メーカーが乱立し、一時はカメラ名のイニシャルがAからZまで(J、U、X除く)揃っていたとまで言われる。リコーなどの大手製品と酷似しているのにメーカー不明なカメラが多く現存することからもそれが窺える。
大半のものはレンズ交換不可だが、マミヤはレンズ交換可能なモデルを発売している。
二眼レフを製造しなかったメーカーは、ニコン、キヤノン、旭光学工業だけだったと言われる。
[編集] 注釈
- ↑ リコーフレックスIII登場当初、およそ7千円から8千円程度で販売されていた。当時の30歳代サラリーマン月給から換算すれば現在でおよそ25万円程度の金額であり、当時ローライフレックスをはじめ、まともなカメラが軒並み3万円以上の販売価格だったことを鑑みると驚異的な価格破壊といえる。また、当時の様子をリコーはこのように振り返っている。