九条政基
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九条政基(くじょうまさもと、文安2年5月7日(1445年6月12日) - 永正13年4月4日(1516年5月5日))は、室町時代末期から戦国時代初期の公家・関白。父は九条満教。母は唐橋在豊の娘。兄は関白政忠。子に九条尚経、細川澄之らがいる。
1459年(長禄3年)に元服し、翌1460年(長禄4年)に公卿に加わった。1476年(文明8年)に従一位関白・氏長者に任じられるが、3年後の1469年(文明11年)にこれを辞している。1491年(延徳3年)准三宮宣下を受ける。1496年(明応5年)家司(けいし)で母方の従兄弟である唐橋在数を借銭の問題から自宅で殺害し、天皇の勅勘をこうむった。1501年(文亀元年)から1504年(永正元年)まで守護方に横領されつつあった家領の和泉国日根荘に下向し、そのとき記した直接支配した際の記録『政基公旅引付』は当時の地方の様子を知る貴重な史料である。また、管領細川政元の要請に応じて末子澄之を政元の養子にした。1516年(永正13年)に72歳で死去。法号は慈眼院。
カテゴリ: 人名関連のスタブ項目 | 戦国時代の人物 (日本) | 藤原氏 | 摂関 | 1445年生 | 1516年没