久留島通靖
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久留島 通靖(くるしま みちやす、1851年(嘉永4年) - 1879年(明治12年))は、豊後国森藩の第12代(最後)の藩主。父は第11代藩主・久留島通胤。母は黒田長元の四女・毛登子。官位は従五位下。伊予守。
1851年5月生まれ。1859年、父の死去により家督を継いだ。幕末期において薩摩藩と密かに接近して尊王論に傾倒し、藩論を尊王論で取りまとめた。そして1867年の大政奉還後の12月、入京して新政府側に与している。ちなみにこれは、豊後国内で唯一の行動である。1869年の版籍奉還で知藩事となり、1871年の廃藩置県で免官された。1879年2月、29歳で死去した。法号は舜岳院。