久保寺雄二
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久保寺 雄二(くぼでら ゆうじ、1958年7月18日 - 1985年1月4日)は、昭和後期(1970年代後半-1980年代前半)のプロ野球選手で内野手だった。静岡県三島市出身。
[編集] 略歴
- 静岡商業高校時代は、1974年夏と1975年春に甲子園出場。同期に大石大二郎がいた。
- 1976年のドラフト2位指名で南海ホークスに入団。背番号は33。
- 1980年に初めて規定打席に達し、リーグ最多の29二塁打と同最少の4本塁打を記録。
- 1984年に、藤原満がつけていた背番号7を受け継ぎ、細身な身体で三塁手としてしばしば美技を見せた。
- 1985年1月4日、帰省先の実家で就寝中に体の不調を訴え、救急車で近隣の病院に運ばれたが手当の甲斐もなく、急性心不全(ポックリ病説もあり)で急逝、26歳の若さだった。
- 戒名は「觀誉盛鷹雄俊信士」
[編集] 生涯戦績
- 770試合、2337打数602安打.258、239打点。102二塁打、18三塁打、44本塁打。52盗塁、312三振。