丹羽氏栄
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丹羽 氏栄(にわ うじひで)は、江戸時代の大名。播磨三草藩の第2代藩主。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 享保元年(1716年) | |||
死没 | 明和8年7月9日(1771年8月19日) | |||
別名 | 勘助(幼名)、郡氏(別名) | |||
戒名 | 大通院殿智勝蔵海大居士 | |||
官位 | 従五位下、長門守、越中守、和泉守、 式部少輔 |
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藩 | 播磨三草藩主 | |||
氏族 | 丹羽氏(一色氏) | |||
父母 | 父:丹羽薫氏 | |||
兄弟 | 弟:丹羽氏薫、巨勢利永 | |||
妻 | 正室:松平近朝の娘 | |||
子 | 丹羽氏寿、養子:丹羽氏福 |
1716年、初代藩主・薫氏の子として生まれる。1733年12月18日に従五位下に叙任する。1757年の父の死去で後を継いで藩主となる。1760年5月11日に大番頭、1764年6月21日に大坂定番となる。1771年7月9日に死去。享年56。後を養子の氏福が継いだ。