中庸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中庸(ちゅうよう)とは、
[編集] 儒教の『中庸』
『中庸』は最初『礼記』の一篇として存在したが、後には独立した書物として扱われるようにもなった。南宋代に至り、朱熹の著した『大学章句』によって、多くの人々に読まれるようになった。
朱熹の章句の冒頭によれば、『中庸』は孔子の孫にあたる子思が「道が衰え、伝わらないのを恐れて著した。」とあるが、後世の学者によれば、子思の著書かどうかは疑わしいとされている。また、朱熹の注では「中」とは偏らないことを意味し、「庸」とは易(か)わらないこと、と説明している。
『大学』が四書の入門であるのに対し、『中庸』は四書の中で最後に読むべきものとされ、その内容は修己や倫理などに関する記載が多い。
[編集] 徳性としての中庸
『ニコマコス倫理学』のなかで、アリストテレスは人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳としてGolden Meanを挙げた。これを日本語訳で中庸という儒教用語をあてた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネーシス、実践知)である。