中島美春
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中島 美春(なかじま みはる、1967年10月1日 - )は、1985年におニャン子クラブの会員番号5番としてデビューした日本の元女性タレント。本名は市川 美春(いちかわ - 。旧姓中島)。愛称は、なかじ。1986年4月、おニャン子クラブを卒業(脱退)し、同時に芸能界も引退した。
しかしながら、おニャン子クラブの復活イベントにはひんぱんに顔を出し、近年その縁でとんねるずのマネージャー、ボブ市川と結婚してファンを驚かせた。
[編集] たった一年の活動史
- 1985年2月、彼女は高校2年生の時に、フジテレビの深夜番組オールナイトフジの特番“女子高生スペシャル”に出演したところ、国生さゆりらとともに同年4月からの同局で始める新番組「夕やけニャンニャン」のおニャン子クラブの一員としてスカウトされる。そして「夕やけニャンニャン」放送開始と共におニャン子クラブの一員として芸能生活をスタート。私生活では、地元の普通科高校の3年生に進級して二足のわらじを履く日々を送ることとなった。
- おニャン子クラブは「夕やけニャンニャン」開始と共に巷の話題となり、一員である彼女もまたちょっとした有名人となるが、さらに彼女の身辺を慌ただしくさせたのは、おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカル4人の内の1人に抜擢されてからだ。この4人は番組外での活動でもおニャン子クラブのなかから別格の扱いを受け、他のメンバーよりも多くの活動機会や露出が高くなっていた。おニャン子クラブの人気がうなぎ登りに高まるに連れ、そのなかの抽出されたフロントボーカル4人の顔と名前は同時期にデビューした下手な新人アイドルよりもよっぽど高い知名度を得る。
- 1986年1月1日、4人の中から新田恵利が「冬のオペラグラス」でソロデビューを果たすと、なんとオリコンのシングルチャートで前代未聞の初登場第1位をかっさらってしまう状況を作り、名実ともにおニャン子ブームが巻き起こる。
- しかしながら、そんな状況下で中島美春はある決断を行う。それは当時高校3年生であった彼女が、高校卒業後は歯科衛生士を目指し、その専門学校に通うため、おニャン子クラブから脱退し、同時に芸能界から引退するというものであった。番組スタッフらは彼女の決断を快く受け入れ、それならばと彼女のための卒業記念シングルの制作に入る。それが現在では卒業式のシーズンの定番曲となった「じゃあね」という曲である。
この曲は当初は中島美春個人名義(=中島美春 with おニャン子クラブ)で進められたが、本人の意向によりおニャン子クラブの名義に変更(しかしフロントボーカルは中島単独)。「セーラー服を脱がさないで」、「およしになってねTEACHER」に続く第3弾シングルとして1986年2月21日に発売された。
- 3月31日、一緒におニャン子を離れる河合その子(彼女は卒業後はソロ活動に移行)とともに「夕やけニャンニャン」の番組内で二人の「卒業式」が行われて番組を離れ、翌4月1日、日本武道館でのおニャン子クラブの全国コンサートツアー「あぶな~い課外授業」最終公演をもって芸能界から引退した。なお、これを初回に、番組内では卒業式が恒例化することとなった。
- 引退後も公私にわたって「夕やけニャンニャン」やおニャン子クラブのメンバーとは交流があり、その後の番組内卒業式や卒業コンサートなどでも顔をのぞかせて、ファンを歓喜させた。おニャン子クラブ解散以後の復活イベントにも何度となく参加。ただ、現在は夫となった人物が芸能人に近いポジションからか、その参加状態が控え気味になっていることを残念がるファンが多い。