中尾芳広
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中尾芳広(なかお よしひろ 1972年6月25日- )は東京都出身のアマチュアレスリング選手、総合格闘家。身長180cm、体重98kg。 2006年6月にリングネームを中尾"KISS"芳広と改名した。
出身校 東京工高→東洋大 後に自衛隊へ
[編集] 来歴
- 2001年 天皇杯全日本選手権 フリースタイル 97kg級 優勝。
- 2002年 明治乳業カップ全日本選抜選手権 フリースタイル 97kg級 優勝、天皇杯全日本選手権 フリースタイル 97kg級 優勝。
- 2003年 明治乳業カップ全日本選抜選手権 フリースタイル 96kg級 優勝。
これらの数々の実績を残し、アテネオリンピックのレスリング代表の有力候補であった。だが2003年末に突然オリンピックへの道を断念、格闘家に転向した。中尾の思い切った決断に親は泣いたようだ。
格闘家デビュー戦となった2003年12月31日のK-1プレミアムダイナマイトでは、バルセロナオリンピック柔道95kg級金メダリスト、ダビド・ハハレイシビリから一本を奪い勝利した。
2004年5月にはドン・フライと対戦するがフライの出血によってノーコンテストに終わったが、同年の大晦日に再戦。判定勝ちを収めている。
2005年6月にはK-1ルールでボブ・サップと対戦。判定負けを喫している。
そして2005年12月31日のダイナマイトではヒース・ヒーリングと対戦。試合直前の睨みあいで、中尾は唐突にヒーリングの唇にキスをする。ヒーリングは激怒し、中尾に右フックをお見舞い。中尾はその攻撃に気付かず、アゴにフックをまともに食らい失神した。結局中尾は試合続行不可能なダメージを負い、ヒーリングの失格負けとなった。その後K-1プロデューサー谷川貞治が「過剰な挑発をした中尾選手にも非がある」とし、この試合はノーコンテストとなった。
中尾は過度のダメージのせいで病院のベッドで年越しを迎えるハメになったが、病院のベッドで中尾が見た初夢はまたもや「ヒーリングにキスをした」夢であった。ヒーリングへの復讐に燃えており、「KO勝ちした後で、ダウンしているヒーリングにキスをする事が目標だ。」と週刊誌の取材に対して中尾は語っている。だが2006年3月に再戦のオファーがあるも何故か断った。
2006年6月にPRIDEへの電撃参戦を表明。このころから中尾は「キス魔」「バイセクシャル」のキャラクターを前面に出すようになり、移籍直後の会見でも対戦相手についてニヤリと笑いながら「かっこいい男がいい」とコメント。DSE榊原信行社長もこれを受けて「いい男を用意するように言われた。またキスがしたくなる様なイケメン選手を用意したい」と返し、主力日本人選手である中村和裕を対戦相手に指名した。また中尾は前述の「キス騒動」を受けて、リングネームを中尾"KISS"芳広と改名した。
ちなみに中尾の同性愛的言動はキャラクターであり、実際にホモというわけではない。