下街道
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下街道(したかいどう)は江戸時代に中山道と東海道を結んだ脇往還で、善光寺道とも呼ばれた。
中山道の大井宿と大湫宿の間にある槙ヶ根追分から、竹折(現在の武並町…恵那市)、釜戸(瑞浪市)、土岐(瑞浪市)、高山(土岐市)、池田(多治見市)、内津(春日井市)、和泉(現在の坂下町…春日井市)、勝川(春日井市)、大曽根(名古屋市東区)を経て名古屋城下の伝馬町札の辻とを結んだ。ほぼ、現在の国道19号に沿っている。
正式には宿場は設けられなかったが、名古屋城下から信州方面への近道であったため、多くの商人や公用旅行者にも利用された。上街道・中山道の宿場は、たびたび下街道の商人荷物輸送の停止を訴え出ているが、これが逆に下街道の利用者が多かったことを示している。
[編集] 関連資料
- 清河八郎「西遊草」
- 清河八郎は、安政2年、母親を伴い、善光寺から名古屋を経て伊勢へ向かう道中で、下街道を利用している。途中、竹折村の「丸や」、坂下宿の旅籠「米屋半六」で宿泊した。