三易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三易(さんえき)とは、古代中国における卦を用いた占いの書である連山(れんざん)・帰蔵(旧字体:歸藏、きぞう)・周易(しゅうえき)の総称。
目次 |
[編集] 典故
その典故は『周礼』春官宗伯にあり、大卜という官吏が三兆・三易・三夢の法を司り、三易は連山・帰蔵・周易で「その経卦は皆な八、その別は皆な六十有四」とあり、卦に八卦があり、それを2つ組み合わせた六十四卦がある易経に対応した記述となっている。なお兆は亀甲獣骨などにできるひび割れを分類し、占うものである。
[編集] 制作者
後漢の杜子春は『連山』を伏羲のもの、『帰蔵』を黄帝のものとしたが、鄭玄は夏・殷のものとした。これを受けて皇甫謐は夏は炎帝(神農)によって連山といい、殷は黄帝によって帰蔵というとしている。
また連山・帰蔵は三皇(ここでは伏羲・神農・黄帝)の書という『三墳』であるともされ、伏羲がはじめて八卦を画いて書契を造り、それまでの結縄の政に代えたと言われる。伝説では漢字を作ったのが黄帝の臣下である蒼頡とされるので、文字発明以前の書物ということになる。『古三墳書』は伏羲の書を『連山』、神農の書を『帰蔵』、黄帝の書を『乾坤』とする。
[編集] 内容
連山・帰蔵の内容は、『周礼』に「その経卦は皆な八、その別は皆な六十有四」とあることから周易と八卦・六十四卦を共通するとされる。その違いは首卦を周易が乾とするのに対し、連山が艮(山)、帰蔵が坤(地)とすることである。なお『玉函山房輯佚書』に偽書の『連山』『帰蔵』が集められている。
なお、帰蔵については竹簡文書『歸藏』が王家台秦墓から発見されている。
[編集] 八卦図
宋代になると伏羲の作ったとする八卦・六十四卦の次序や方位図が作られ、これを先天図という。連山・帰蔵に関しても先天図と同じ原理で次序と方位図が作られた。すなわち八卦について言えば、それぞれの首卦の一番上の爻(上爻)の陰陽を反転させ、そこでできる二卦の上から二番目の爻(中爻)の陰陽を反転させ、さらに以上の四卦の上から三番目の爻(下爻)の陰陽を反転させていくという順である。こうすると先天図は「乾坤震巽坎離艮兌」、連山は「艮坤巽坎離震乾兌」、帰蔵は「坤艮坎巽震離兌乾」となる。そして首卦を午(南・上)に置き、説卦伝の「天地定位、山沢通気、雷風相薄、水火不相射」に合わせて乾と坤、艮と兌、震と巽、坎と離が相対する方位に並べていくことで方位図が導き出される。以下がその八卦方位図である。六十四卦の次序および方位も同様の原理で導き出される。
|
|
|
|