三原新二郎
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三原 新二郎(みはら しんじろう、昭和15(1940)年7月20日 - )は、広島県広島市出身の高校野球指導者である。高校球界を代表する名将として知られ、選手の個性・相手投手の癖等を完全に見抜いた上で繰り出される臨機応変な采配は「三原マジック」と称される。特に走塁指導の隙の無さには定評があり、例年機動力に優れたチームを作り上げてくる。
[編集] 経歴
広陵高校(広島)から明治大学に進学。社会人野球の中国電電を経て、1966年に母校広陵の監督に就任すると、1967年の夏の甲子園ではいきなり準優勝(決勝戦・1-7習志野)、翌年も春選抜大会、夏の甲子園と続けてベスト8まで導くなど好成績を残したが、当時の校長らと反りが合わずに辞任。
1970年代には福井(福井)の監督に就任。同校を甲子園の常連校に育て上げた後、1983年からは京都西(現京都外大西)を指揮する。1991年には一度監督を勇退したものの、10年後の2001年に再び還任。弱体化していた同校を再び京都を代表する強豪校に仕立て上げると、2005年には勇退を決めて挑んだ夏の甲子園でチームを決勝戦まで導くも3対5で惜敗。駒大苫小牧(南北海道)に夏の2連覇を許した。
2006年8月1日、山陽の監督に就任。37年ぶりに広島高校野球界で指揮を執ることになる。
[編集] 甲子園での成績
- 広陵(広島):出場3回・8勝3敗・準優勝1回(第49回全国高等学校野球選手権大会)
- 福井(福井):出場2回・3勝2敗
- 京都西/京都外大西(京都):出場9回・15勝9敗・準優勝1回(第87回全国高等学校野球選手権大会)
- 通算:出場14回・26勝14敗・準優勝2回