ワット・タイラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウォルター・タイラー(Walter Tyler, ? - 1381年6月15日)は、ワット・タイラー(Wat Tyler)としてよく知られるイギリスの農夫。ワット・タイラーの乱の指導者。
彼の生年月日は不明で、生活に関してもほとんど知られていない。名前が示すように彼は屋根の瓦職人だったとも考えられている。歴史家は、彼はおそらくケントまたはエセックスで生まれてフランスとの戦争に参加したのではないかと考える。
カンタベリーの占拠後、タイラーは反乱軍をロンドン郊外のブラックヒースに導き、続いて都市に侵入した。都市への侵入はカンタベリー大僧正の殺害に帰着した。国王リチャード2世はマイルエンドで反乱軍を出迎え、農夫の要求を保証すると約束した。
反乱軍は、最初に譲歩を行なうことを政府に強いた。しかし6月15日の二度目の交渉の真中に、タイラーはロンドン市長ウィリアム・ウォールワースに斬りつけられた。タイラーは致命傷を負い、反乱は彼の死の直後に終了した。
カテゴリ: イングランド史の人物 | 1381年没