ロベルト・ヤルニ
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ロベルト・ヤルニ(Robert Jarni、1968年10月26日-)は、クロアチア・チャコヴェツ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー(サイドハーフ)、ディフェンダー(サイドバック)。
底なしのスタミナと高精度のクロス、抜群のスピードを武器に、左サイドの神とも称された元クロアチア代表選手。バーリに移籍後、その才能が注目され始め、トリノを経て、1994年にユヴェントスに加入。しかし、ユヴェントスの水が合わなかったのか、1年でレアル・ベティスへ。ここではチームの中心選手として活躍したが、高額な年俸がネックになりレアル・マドリードへ移籍。1999-2000シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験した。このように、クラブレベルでは一応の成功を収めたヤルニだったが、代表選手としては歴史に翻弄された一人だった。1990年に旧ユーゴスラビア代表として1990 FIFAワールドカップに出場したが、母国の政治情勢により、EURO1992、1994 FIFAワールドカップの出場資格を剥奪されてしまう。6年間、国際舞台から姿を消したヤルニだったが、1998 FIFAワールドカップにクロアチア代表として出場。ダヴォール・シューケル、ロベルト・プロシネチキ、ズボニミール・ボバンらとともに3位進出に貢献する。そして、2002 FIFAワールドカップ終了後、現役引退を発表した。
[編集] 所属クラブ歴
- ハイデュク・スプリト (クロアチア) 1986-1991
- バーリ (イタリア) 1991-1993
- トリノ (イタリア) 1993-1994
- ユヴェントス (イタリア) 1994-1995
- ベティス (スペイン) 1995-1998
- レアル・マドリード (スペイン) 1998-2000
- ラス・パルマス (スペイン) 2000-2001
- パナシナイコス (ギリシャ) 2001-2002
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