レキオス航空
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レキオス航空株式会社とは、かつて存在した日本の航空会社。ただし実際の定期旅客便の運行は行うには至らず倒産した。
1990年代後半、日本の航空業に関する規制の緩和が行われ、スカイマークやエアドゥといった新興格安航空会社が相次いで設立された。そのなかでも沖縄県は離島であり本土との旅客交通が主に航空便に拠っていることから、旅客需要は多く格安航空会社の参入の余地があると考えられた。(また、2002年4月からは沖縄振興特別措置法が施行され、沖縄発着の航空会社は空港着陸料などが通常の6分の1に軽減されており、これも沖縄便が新規航空会社に有利と考えられた。)
そこで、1997年8月に沖縄電力、琉球銀行、沖縄銀行、オリオンビール、金秀本社、國場組など沖縄県内の主要企業32社が出資して航空事業調査会社「サザンクロス株式会社」を設立。事業として成立するかの調査等を始めた。1998年に事業化は決して容易ではないとの結論に達し、県内主要企業の共同出資による航空会社の設立は一度は断念されることとなった。
その後、建築防水工事業の琉球ゴーレックスを経営する知念公男、琉球ガラス工芸協業組合理事長の稲嶺盛福、琉球バス社長の長浜弘真、リサイクル事業・飲食事業のトリムを経営する新城博らがサザンクロス株式会社の全株式を買い取り、1998年10月にレキオス航空株式会社に改称し、定期旅客便の運行を目指すこととなった。
キャッチフレーズは「新しい沖縄の翼」とし、当初の事業計画では2000年4月開業時は2機で羽田空港-那覇空港線に就航、3年目からは6機体制とし、伊丹空港-那覇空港線・福岡空港-那覇空港線に拡大するとした。
その後、事業調査と出資依頼を継続し、2000年8月に支援持株会を設立。個人による1口5万円の小口の出資金を受け付けていた。
2002年9月には国土交通省に航空運送事業許可を申請し、11月に受理された。11月8日には2003年6月の就航予定と発表した。予定ではボーイング767-300ER型1機をリースにより調達し羽田空港との間を1日2往復運行。片道普通運賃を22000円と設定していた。機材整備のうち重整備は台湾のエバー・グリーン・アビエイション・テクノロジーズ(EGAT)社に委託。全日本空輸とも営業面での委託契約を希望していた。
しかし、2003年3月19日、機材をリースする予定であったGECAS社から予定する資本金26億円のうち10億円しか調達できなかったことを理由にリース契約を破棄された。肝心の機材が調達できないことから事業計画を見直すと公表。3月31日には全従業員の解雇、東京事務所と羽田空港支店の閉鎖を突然発表し、4月15日付で2002年11月に国土交通省が受理した航空運送事業許可申請を取り下げた。
その後も資金状況は改善せず、2003年8月8日に那覇地方裁判所に民事再生手続の開始を申請したが、2004年1月21日に民事再生法申立てが棄却され、破産手続が開始された。負債総額は約3億円。
また、破産申立ての際には解雇された従業員に対し賃金や解雇予告手当の未払いも発生し、2004年5月には法人及び知念公男が労働基準法違反の疑いで書類送検されている。(出典:2004年5月20日付け日本経済新聞)
本社は沖縄県那覇市久茂地3-22-12にあった。登録商標「レキオス\LEQUEOS\LEQUIOS」(航空機による輸送)が存続している。