ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
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ルードヴィヒ・フォン・ミーゼス(Ludwig von Mises, 1881年9月29日 - 1973年10月10日)は、オーストリア・ハンガリー帝国出身の経済学者であり、現代自由主義思想に大きな影響を及ぼした。オーストリア・ハンガリーのレンベルク(現在のウクライナのリヴィフ)に生まれ、1900年からウィーン大学で法学を学ぶが、1903年にカール・メンガーの書経済学原理によって経済学に目を開かれる。1906年、法学博士号を取得。 オーストリア帝国財務省で勤務した後1909年からは25年にわって、当時半官であったオーストリア商工会議所に勤務、またウィーン大学で1913年から1934年まで私講師として教えた。
フォン・ミーゼスは1934年に、ナチスの政権獲得に起因する混乱を避けてオーストリアを離れ、はじめジュネーブに、1940年にはアメリカ合衆国に移り、ニューヨーク大学で1945年から1969年まで教えた。フリードリヒ・ハイエクの師でもある。
彼は、オーストリア学派を代表する一人と見なされている。また、(古典的)自由主義のために広範な著述や講演をおこなった。経済計算論争などで計画経済を鋭く批判したことでも知られる。貨幣的景気理論も有名である。
[編集] 著書
- Human action(1940)
- ヒューマン アクション 村田稔雄 訳(春秋社)
Theorie des Geldes und der Umlaufsmittel (1912) Nation, Staat und Wirtschaft (1919)
misesの殆どの著書はmises instituteから無料ダウンロードできる。
[編集] 関連項目
- リヒャルト・フォン・ミーゼス - 工学者。ルートヴィヒの弟。
- 自由主義
カテゴリ: オーストリアの経済学者 | 1881年生 | 1973年没