ルイス・ペレス=サラ
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F1での経歴 | |
国籍 | スペイン |
活動年数 | 1988 - 1989 |
所属チーム | ミナルディ |
出走回数 | 26 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 1 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1988年ブラジルGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1989年日本GP |
ルイス・ペレス=サラ(Luis Perez-Sala, 1959年5月15日 - )は、スペイン・カタルーニャ州出身の元カーレースドライバーである。
[編集] 経歴
1985年にイタリアF3に参戦した後に、1986年に国際F3000に移り、1987年にはイギリスのバーミンガムとイタリアのエンナで優勝を遂げるなどし、ステファノ・モデナとタイトル争いを演じ、シリーズを2位で終えた。
これが認められ、翌年にはF1にステップアップし、ミナルディからデビューした。この際、前年から所属していた同じくスペイン人のエイドリアン・カンポスとコンビを組み、同チームにとっては初めて、イタリア人以外の「外国人」コンビで臨んだシーズンとなった。
ペレス=サラはすぐにチームメイトをしのぐようになり、結果的に第5戦まででカンポスに予選、決勝とも全勝し、予選落ちを繰り返したカンポスは第5戦で解雇され、第6戦からはピエルルイジ・マルティニとコンビを組むことになった。カンポスには完勝したペレス=サラだが、マルティニに対して五分の結果にすることはかなわず、大きく遅れをとった。
1989年もミナルディに残留し、引き続きマルティニとコンビを組んだ。この年の第8戦イギリスGPでは、自身にとって最初で最後となる6位入賞を記録し、1ポイントを獲得し、これがハイライトとなった。
ペレス=サラは1988年と1989年の全32戦にエントリーしたが、戦闘力不足のミナルディに乗ったため、6回の予選落ちを記録している(1988年2回、1989年4回)。そのため、出走回数としては26戦を数えるにとどまり、最後のレースとなった1989年のオーストラリアGPで予選落ちを喫したため、最後に決勝に出走したレースはその前戦である日本GPとなった。
F1を去って後は、スペイン国内のツーリングカー選手権に参戦した。