モクタル・ウルド・ダッダ
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モクタル・ウルド・ダッダ(Moktar Ould Daddah, 1924年12月25日 - 2003年10月14日)は、モーリタニアの政治家。1960年、モーリタニアのフランスからの独立後、まず内閣首長となり、1961年初代大統領になった。1978年まで、三期にわたり大統領に選任された。
モーリタニアの富裕な家庭に生まれた。パリに留学し、法学を学んだ。ダッダはモーリタニア出身者で最初に学士号を得た人物である。シャルル・ド・ゴールの娘と知り合い、結婚した。この結婚は、フランス植民地であったモーリタニアでの彼の昇進を有利にするものとなった。1950年代後半にモーリタニアに帰国し、中道左派勢力の進歩モーリタニア連合に加入した。党首脳となるが、1959年にモーリタニア再編党を結成、党首となる。独立前に行われた選挙で国会第一党となり、ダッダが内閣首班に指名された。
モーリタニアはムーア人、黒人、スペイン系の三つの民族集団からなるが、ダッダはそのバランスをよく維持して政局を安定させた。1961年に初代大統領となり、8月の総選挙で勝利し、これを確実なものとした。
ダッダは第二党との合同を進め、1961年9月には新政党モーリタニア国民党を結成した。これによって事実上の一党政治が実現した。1964年には一党独裁制を法律上の制度とした。
1971年にはアフリカ連合の議長に選挙される。しかしこのころから国内政治には失策が続くようになる。スペインがスペイン領サハラを放棄すると領有権を主張し、介入したがゲリラに敗北し、失敗した。経済危機もこれに加わって、1978年軍のクーデターで失脚した。
カテゴリ: モーリタニアの政治家 | 1924年生 | 2003年没