マリア皇女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ(Мария Николаевна Романова/Maria Nikolaievna Romanova, 1899年6月26日 - 1918年7月17日)はロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の三女。
ニコライ2世の家族の絆は強かったといわれている。4人姉妹はいつも仲良しで、マリア皇女は特に妹のアナスタシア皇女と仲が良く、1つの寝室を共有していた。姉のオリガ皇女とタチアナ皇女も二人で一つの寝室を共有しており、彼女らが「ビッグ・ペア」と呼ばれていたのに対し、下の二人は「リトル・ペア」と呼ばれていた。
革命後、皇帝夫妻が身柄をトボリスクに送られる際、その明るく気丈な性格を買われ、皇女として唯一同伴した。(他の皇女と弟のアレクセイ皇太子は後に合流している。)
1918年7月17日、エカチェリンブルクで家族、従者と共に銃殺された。
美人の誉れ高く、従弟であるルイス・マウントバッテンは生涯彼女の面影を追い、肖像を部屋に飾っていたとも言われる。