ボーランド
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ボーランド (Borland) は、開発プロセス用ツールの会社である。PC 黎明期からTurbo Pascal(ターボ・パスカル)など定評あるソフトウェア開発ツールを販売していたが、1990年代のマイクロソフトとの激しいバトルを経て、2000年代前半、企業買収を繰り返し、開発プロセスツール会社に変身した。本社はアメリカのカリフォルニア州クパティーノ。
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[編集] 概要
[編集] 設立
ボーランドは1983年に、フランスの数学教師、フィリップ・カーン (Philippe Kahn) によって設立された。
[編集] 開発ツール
彼はこの会社を、よく考えられた一連のソフトウェア開発ツールの開発元へと導いた。最初に送り出された製品は「Turbo Pascal」であり、その後「Sidekick」などを発表。特に「Turbo C」「Borland C++」はその優秀さから、Microsoftの「Quick C」「Microsoft C/C++」「Visual C++」に対して互角以上の戦いを展開した。
[編集] 個人向け市場への進出
1990年代初頭、ボーランドは個人向けデータベース市場をめぐって、マイクロソフトと激しく争った。1987年9月に、Ansa-Software社のデータベース管理ソフト「Paradox」(バージョン2.0)を会社ごと買収し、さらにデファクト・スタンダードであるdBaseを取得し優勢と思われたボーランドであったが、マイクロソフトもMicrosoft Accessを開発、さらにdBaseのクローンであるFox Proを取得し反撃。dBaseの巨額の買収費用もたたり、戦いはボーランドの敗北に終わった。1996年10月に「Paradox」はカナダのコーレル社へ売却。1999年には「dBase」までもがソフトウェア開発ツールに専念するために売りに出された。
表計算ソフトにおける戦いも、ボーランドの敗北に終わった。1989年に送り出された、表計算ソフト「Quattro Pro」は当時としては注目に値する図表作成能力を備えていた。1994年「Quattro Pro」はNovellに売却され、その後、創始者のフィリップ・カーンもボーランドを去った。
[編集] 開発ツールと法廷闘争
1995年、ソフトウェア開発ツールで巻き返しを図るボーランドは、Windows時代に対応したRADツール Delphiを発売。アンダース・ヘルスバーグ(Anders Hejlsberg)による精練された設計は、マイクロソフト製ツールを圧倒した。これに対してマイクロソフトは、開発部門のトップであったポール・グロス(Paul Gross)上級副社長を筆頭に、アンダース・ヘルスバーグなど主要なボーランドの技術者を30ヶ月間に34人引き抜き対抗。「Dead Borlanders Society」と皮肉られる有様だった。怒ったボーランドはマイクロソフトを訴え、長期にわたる法廷闘争が繰り広げられた。
[編集] 社名変更
1998年4月29日、アメリカのボーランド本社は、社名を Integrate the Enterprise というスローガンに因んで「インプライズ・コーポレーション」(Inprise Corporation) へと変更した。
[編集] マイクロソフトとの和解
1999年6月8日、マイクロソフトとの間で和解が成立した。インプライズは12,500万ドルを手に入れ表面上勝利を収めたが、インプライズの持つ特許はマイクロソフトに公開され、マイクロソフトに対してWindows用開発ツール市場で優勢に戦いを進めていく事は難しくなった。
その後、マイクロソフトは自社の技術に加えて、インプライズから手に入れた技術者と特許を使って.NET Frameworkを開発。インプライズは.NET Frameworkへの対応に苦労するという皮肉な状況が続いている。
[編集] Linuxへの進出
Windowsでの戦いに敗れたインプライズはLinuxに注目。2000年2月、インプライズはコーレルとの合併を発表した。しかし、この計画はコーレルの株価の下落により破棄された。
2001年には、「Delphi」のLinux版とも言えるKylix(カイリックス)を送り出した。しかし今の所、思惑通り普及していない。
[編集] 社名復活
2001年1月に、「インプライズ」から「ボーランド・ソフトウェア・コーポレーション」(Borland Software Corporation) へと社名が変更され、「ボーランド」の名前が再び据えられた。その一方、ボーランドの大企業重視の姿勢は変わらなかった。成長著しいJAVA市場で「JBuilder」(ジェイ・ビルダー)はライバルを蹴散らし順調に成長。ボーランドは大企業向けJAVA開発ツールベンダーとしての性格を強めていった。
[編集] 開発プロセス全体への進出
2002年以降、ボーランドは上流から下流までの開発プロセス全体をカバーする為、企業買収を積極的に行った。取得した企業はTogetherSoft(UMLモデリング・ツール)、Starbase(要求管理、変更管理ツール)、Redline Software(テスト・ツール)、TeraQuest(プロセス・コンサルティング)、Segue Software(品質管理ツール)などである。
ボーランドはALM (Application Lifecycle Management)を提唱している。ボーランドの製品をALMの各フェーズに当てはめると
Phase | 製品名 | 備考 |
---|---|---|
Plan | Tempo | Legadero Softwareから買収 |
Define | CaliberRM | StarBase社から買収 |
Design | Together | TogetherSoft社から買収 |
Develop | JBuilder | |
Manage | Starteam | StarBase社から買収 |
となっている。
買収に要した費用は数億ドルに及ぶと思われる。公開されている内訳はTogetherSoft(約1億8500万ドル)、Starbase(約2400万ドル)、Redline Software(約800万ドル)、Segue Software(約1億ドル)などである。
[編集] 開発ツール政策の混乱
傘下の開発プロセス企業の増加により、売上高に占める、開発者用ツール(以下IDE製品)の割合は減少。IDE製品への投資は大幅に削減され、それがまたIDE製品の売り上げ減少につながるという負のスパイラルに陥った。特に稼ぎ頭であったJBuilderはEclipse (統合開発環境) の普及とリストラにより衰退した。皮肉にも、これが急激なALM化を推し進めたデール・エル・フラー(Dale L Fuller)CEOの命取りとなった。
[編集] IDE子会社の設立
2005年本社をカリフォルニア州スコッツヴァレーからクパティーノに移したボーランドは、2006年にIDE部門の完全子会社化を発表した。IDE製品はALM製品とは異なるビジネスモデルが必要であり、両立する事が難しかった。当初ボーランドは、売却を伴う分社化を目指したが[1]、数ヶ月に及ぶ交渉はまとまらなかった。Developer Studio(Delphi、C++Builder、C#Builder)、JBuilder、Turbo、InterBase は新社名「CodeGear」(コードギア)の下で、引き続き提供される。
[編集] 販売中のALM製品
- Caliber(カリバー)
- OptimizeIt(オプティマイズ・イット)
- StarTeam(スターチーム)
- Tempo(テンポ)
- Together(トゥギャザー)
[編集] 販売中のIDE製品
- C# Builder(シーシャープ・ビルダー)
- C++ Builder
- Delphi(デルファイ)
- JBuilder(ジェイ・ビルダー)
- InterBase(インターベース)
[編集] 旧IDE製品
Turbo Pascal(ターボ・パスカル)、Turbo C(ターボ・シー)、Turbo Prolog(ターボ・プロローグ)、Turbo BASIC(ターボ・ベーシック)、Turbo Assembler(ターボ・アセンブラ、TASM)、IntraBuilder(イントラビルダー)、Kylix(カイリックス)
[編集] 脚注
- ↑ ボーランド (2006年2月15日). "ボーランド、ソフトウェア品質ソリューションを提供するSegue Software社の買収、ならびにIDE製品ラインの売却計画を発表" 2006年8月2日閲覧.