ボラ・ミルティノビッチ
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ボラ・ミルティノビッチ(Velibor "Bora" Milutinović、1944年9月7日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)・バジナベスタ出身の元サッカー選手・監督。
パルチザン・ベオグラードで選手としてのキャリアをスタート。その後、フランスやスイスのクラブを渡り歩き、メキシコのクラブチームであるウニベルシダ・アウトノマ(通称UNAM)でプレーしたのを最後に選手生活から引退。翌シーズンからは同チームの監督として指導者としての道を歩み始め、就任2年目でリーグ初優勝を果たすなど評価を上げていく。
その評価が基となり、1982年、1986年のワールドカップがメキシコで開催されることが決定されると代表監督に抜擢され、チーム強化に着手。本大会ではベスト8という成績を残した。
その後、1990年のイタリアW杯では当時下馬評が高いとは言えなかったコスタリカ代表を率いて決勝トーナメントへ進出する活躍を見せると、「ボラ・マジック」としてさらに監督としての評価を高め、1994年のアメリカW杯では開催国アメリカ代表監督としてチームを決勝トーナメント進出へ導き、「サッカー不毛の地」と言われていたアメリカでも成功をおさめた。
さらに、1998年のフランスW杯ではナイジェリア代表監督を務め、強豪スペインを破るなどして決勝トーナメントに進出。2002年の日韓W杯では中国代表の監督を務めた。5カ国の代表監督としてワールドカップで指揮を執ったのは最多記録であり、このうち4カ国を決勝トーナメント進出に導いている。
2003年からはホンジュラス代表監督を務め、2006年のドイツW杯出場を目指したが、惜しくも出場を逃している。2006年からはジャマイカ代表監督に就任。
兄のミロス・ミルティノビッチもユーゴスラビア代表選手として活躍し、後にユーゴスラビア代表監督を務めた。