ベルリン作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベルリン作戦(Unternehmen Berlin)はドイツ海軍巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウによって第二次世界大戦中、1941年1月から3月に行われた通商破壊作戦である。作戦の指揮はギュンター・リュッチェンスが執った。
1940年12月の出撃は中止となり、2隻は1941年1月22日にキールを出撃した。グレートベルトを通過中に2隻は発見されこの出撃はイギリスの海軍省に知らされた。ジョン・トーヴェイ提督は戦艦ロドネー、ネルソン、巡洋戦艦レパルス、8隻の巡洋艦と11隻の駆逐艦を率いて出撃しアイスランドとフェロー諸島の間でドイツ艦を阻止しようとしたが、リュッチェンスの部隊はデンマーク海峡を通過して大西洋へ進出しカナダ・イギリス間の船団の攻撃を開始した。
1941年2月8日にHX-106船団を発見したが、戦艦ラミリーズが護衛についていたため攻撃は断念された。リュッチェンスは敵の主力艦との交戦は避けるよう命令されていた。燃料の補給後、HX-111船団は逃したが、2月22日に分散した後のアメリカへ戻る船団の船を5隻を沈めた。その後2隻は西アフリカ・イギリス間の船団ルートを攻撃するため南のアゾレス諸島へ向かった。3月7日にSL67船団を発見したが戦艦マレーヤが存在したためまたもや攻撃はおこなわれなかった。だが、2隻は船団を追跡しUボートによる攻撃を支援した。
それから2隻は西大西洋へ向かい、その途中3月9日にで単独で航行していた船1隻を沈めた。3月15日、分散した船団を発見、攻撃して16隻を撃沈ないし捕獲した。その中の1隻チリアン・リーファー(Chilean Reefer)は煙幕をはって正確な位置を発信し、シャルンホルストに対して反撃した。リュッチェンスは、チリアン・リーフの能力がはっきりしないため安全な距離まで離れてチリアン・リーフを撃破した。その間に戦艦ロドネーが現れたが逃走に成功した。
ブレストへの帰還を命じられたシャルンホルストとグナイゼナウは3月22日に帰投した。
2隻は60日間18000マイル近くの航海をおこない、合計で22隻11万5622トンを撃沈ないし捕獲した。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 戦争スタブ | 第二次世界大戦の海戦