ヘンリー・カボット・ロッジJr.
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ヘンリー・カボット・ロッジ・ジュニア(Henry Cabot Lodge Jr., 1902年7月5日 - 1985年2月27日)はアメリカ合衆国の政治家、外交官。連邦上院議員(マサチューセッツ州選出、1937年 - 1944年,1947年 - 1953年)、国連大使(1953年 - 1960年)、駐南ベトナム大使(1963年 - 1964年)、無所任大使(1967年 - 1968年)、駐西ドイツ大使(1968年 - 1969年)、パリ和平交渉のアメリカ代表団代表、駐バチカン大使(1970年 - 1977年)を歴任。1960年の共和党副大統領候補。祖父は上院議員、上院外交委員長を務めたヘンリー・カボット・ロッジ。
1924年ハーヴァード大学を卒業後、「ヘラルド・トリビューン」紙などの新聞記者を経て、1933年から1936年までマサチューセッツ州議会議員を務める。同年共和党員として上院に選任され、1944年に陸軍に入隊し第二次世界大戦に従軍するため議員を辞任する。彼は南北戦争以来初めて軍務に就くため辞職した議員であった。彼は中佐まで昇進し、戦後の1946年に再び上院議員に選出される。
1952年に彼は上院議員選で対立候補のジョン・F・ケネディに敗北する。1953年にはドワイト・D・アイゼンハワー大統領より国連大使に任命される。1960年の大統領選でロッジはリチャード・ニクソンによって副大統領候補に指名され、国連大使を辞任した。ニクソンは大統領選でケネディに敗れ、ケネディはロッジを南ベトナム大使に任命した。ロッジは同職を1963年から64年まで勤めた。
1964年の共和党大統領候補者争いでは、ネルソン・ロックフェラーニューヨーク州知事とバリー・ゴールドウォーター上院議員が激しく競っていた。ロッジは当初から立候補するつもりはなかったが、ニューハンプシャー州予備選で有力な2人を破り、書き込み投票(Write-in)で1位になった。ロッジは改めて指名を求める意志がなく、ロックフェラーを支持することを表明したが、その後も地元マサチューセッツ州、ニュージャージー州の予備選で勝利した。
彼は1985年に死去し、マサチューセッツ州ケンブリッジのマウント・オーバーン墓地に埋葬された。
[編集] 外部リンク
- Biographical Directory of the United States Congress - アメリカ合衆国議会の人名辞典サイト[1]内の、ロッジの項目(英語)
- アメリカ合衆国国連大使
- 1953 - 1960
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- 先代:
- ウォレン・オースティン
- 次代:
- ジェイムズ・ワーズワース
- 共和党副大統領候補
- 1960
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- 先代:
- リチャード・ニクソン
- 次代:
- ウィリアム・ミラー