ブライアン・バンクス
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ブライアン・バンクス(Brian Glen Banks、1970年9月28日-)は、アメリカ合衆国・アリゾナ州出身のプロ野球選手。日本では2000年に福岡ダイエーホークスに所属した。ポジションは捕手・内野手・外野手(ダイエーでは一塁手・三塁手・指名打者)。右投げ両打ち。188cm90kg。
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[編集] 経歴
1993年にミルウォーキー・ブリュワーズに入団し、1996年にメジャー昇格。2000年の開幕直後にダイエーに移籍した。この年のダイエーは正捕手の城島健司の怪我、開幕4番を務めたメルビン・ニエベスの不振、前年までエースだった工藤公康がフリーエージェントで読売ジャイアンツへ移籍したことなどが重なって開幕から大きく出遅れた。様々なポジションが守れてスイッチヒッターであるバンクスの獲得は緊急避難的な要素が強く、首脳陣はバンクスに捕手を守らせることも考えていたという。
しかし、蓋を開けてみれば長打どころかヒットすらまともに出ない打撃で、結局捕手は前年の終盤に代打として活躍した坊西浩嗣が務めた。その後も一塁や三塁でのスタメン起用はあったがやはり結果は出せず、シーズン終了前に帰国となった(もちろん解雇)。
その後、2002年にフロリダ・マーリンズでメジャー復帰し、2003年に引退した。最後の年はマーリンズがワールドシリーズを制し、世界一メンバーになった。
[編集] 通算成績
- 米国 273試合 打率.246(495打数122安打) 本塁打13 打点64
- 日本 32試合 打率.149(74打数11安打) 本塁打0 打点4
[編集] 背番号
ダイエー時代は47。メジャーでは23や22を付けた。
[編集] エピソード
- バンクスはユーティリティプレーヤーとの触れ込みで入団したが、結局福岡移転後、1軍の試合に出場して1軍での本塁打0に終わった最初の外国人野手になってしまった。
- 守備や走塁は無難にこなしており、守備固めや代走で出場したこともある。