フリードリヒ・アウグスト (オルデンブルク大公)
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フリードリヒ・アウグスト(Friedrich August, 1852年11月16日 - 1931年2月24日)は、オルデンブルク大公国の第4代大公(在位:1900年 - 1918年)。
ペーター2世とその妃であったザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフの娘エリーザベト(1826年 – 1896年)の長男として、1852年11月16日にオルデンブルクで生まれた。1900年6月13日に父の死去によって大公位に即いたフリードリヒ・アウグストは、海運や海軍の発展に力を注いだ。
またフリードリヒ・アウグストは1894年から1896年にかけてエリーザベト=アンナ宮殿を建設した。これは彼の最初の妃エリーザベト・アンナの名を冠したものだが、完成前に彼女とは死別している。
1918年にドイツ革命が勃発するとフリードリヒ・アウグストは同年11月11日に退位し、以後はラステーデ宮殿で隠棲した。
[編集] 子女
フリードリヒ・アウグストは二度結婚している。最初の妃は1878年2月18日に結婚したプロイセン王子フリードリヒ・カール(1828年 - 1885年)の娘エリーザベト・アンナ(1857年 - 1895年)で、彼女との間に以下の二女をもうけた。
- ゾフィー・シャルロッテ(1879年 - 1964年、プロイセン王子アイテル・フリードリヒ妃)
- マルガレーテ(1881年 - 1882年)
二人目の妃は1896年10月24日に結婚したメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世の娘エリーザベト(1869年 - 1955年)で、彼女との間に以下の二男三女をもうけた。
- ニコラウス・フリードリヒ・ヴィルヘルム(1897年 - 1970年)
- アレキサンドリーネ(1900年、誕生翌日死去)
- フリードリヒ・アウグスト(1900年、誕生翌日死去)
- インゲボルク・アリックス(1901年 - 1996年)
- アルトブルク・マリー・マティルデ(1903 年 - 2001年)