フランソワ・モーリアック
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フランソワ・モーリアック(François Mauriac、1885年10月11日-1970年9月1日)はフランスのカトリック作家。息子にクロード・モーリアックがいる。
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[編集] 生涯
ボルドーの中産階級の家に生まれ、敬虔なカトリックの母に育てられ、1906年にパリに出て、エコル・デ・シャルトルに入学したがまもなく退校。文学に専念し、《現代誌 Revue du Temps Présent》に寄稿するかたわら、1909年に処女詩集『合掌 Les mains jointes,』を発表し、モーリス・バレスの賞賛を得る。第一次世界大戦に従軍し、戦後の1922年『癩者への接吻 La baiser au lépreux』を発表して小説家としての地位を確立し、次いで1923年『火の河 La fleuve de feu』『ジェニトリクス Génitrix』を発表後、1925年『愛の砂漠 Le désert de l'amour』によってアカデミー小説大賞を得た。また、1927年『テレーズ・デスケルウ Thérèse Desqueyreux』、1932年『蝮のからみあい Le nœud de vipères』などを発表したほか、『イエスの生涯 Vie de Jésus』やラシーヌ、パスカルを論じたものや小説論もある。
戦前は反ファシストの論陣を張り、第二次世界大戦中は反ナチス抵抗運動に参加、その記録に『黒い手帖 Cahier noir』(1943年)がある。戦後は急進カトリック派の重要人物として、保守主義の立場から実存主義と共産主義に対決している。1952年にノーベル文学賞を受賞している。
[編集] 作風
彼は背景や題材を多く故郷のボルドー地方の風物、古い伝統や因習の殻に閉じこめられた地方的な家庭生活に採り、個人と家庭、信仰と肉の葛藤、エゴイズムと宗教意識の戦いを主なテーマとした。病的なほどに我執や肉欲にとらわれる人間の内面を執拗に分析して、神なき人間の悲惨を描いた。表現は独自の内的独白の手法により、文体は古典的で端正、精緻で、構成もきわめて巧妙、深刻な道徳問題を取り扱った心理小説家として独自の地位を保つ。遠藤周作や三島由紀夫に影響を与えた。
[編集] 作品(上記以外のもの)
小説
- La fin de la nuit 1935年
- Les chemins de la mer 1939年
- 『日記 Journal』5巻 1934-53年
劇作
- Asmodée 1938年
- Le bâillon dénoué après quatre ans de silence
[編集] 外部リンク
- 伝記。 書誌学。(フランス語)
カテゴリ: フランスの小説家 | ノーベル文学賞受賞者 | 1885年生 | 1970年没