フラワー・トラベリン・バンド
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フラワー・トラベリン・バンド(Joe With Flower Travellin' Band)は、1970年にデビューした日本のロックバンド。
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[編集] 結成から解散まで
元4.9.1(フォー・ナイン・エース)のジョー山中(ボーカル)、元ビーバーズの石間秀樹(ギター)、元タックスマンの上月ジュン(ベース)、元フラワーズの和田ジョージ(ドラムス)の4人によって1970年に結成。フラワーズに在籍していた内田裕也がプロデュースを担当し、デビュー・アルバム「Anywhere」を発表。同年に開かれた大阪万国博覧会の出演中に知り合ったカナダのロックバンド、ライトハウスに見出されメンバーはカナダへ渡る。地元でライブ活動を重ね評価を上げた彼らはアメリカのアトランティック・レコードと契約しアルバム「SATORI」をアメリカとカナダで発売。同アルバムから「SATORI Part2」がシングルカットされカナダのチャートに入る。また、ライトハウス、ELP、ドクター・ジョンなどのミュージシャンと競演ライブも行った。
1972年4月に帰国し全国縦断コンサートを行う。その後1973年1月に来日するローリングストーンズの前座を務める予定だったが来日は中止になり大きなチャンスを逸してしまう。1973年、アルバム「Make Up」を発表。同年の京都でのコンサートを最後に解散する。
[編集] 音楽的な特徴
内田裕也のアイディアにより全曲英語の歌詞で歌い東洋的な旋律をモチーフとして独自の音楽性を確立した。当時の音楽業界ではロックを日本語で歌うか英語で歌うかの論争があったが、内田裕也は英語で歌うことを決断した。
東洋的な旋律の上に乗るジョー山中の高音の歌声と石間秀樹のスライド・ギターを駆使した「SATORI」は高い演奏力とあいまって無国籍的な一種独特の世界を展開している。
[編集] 評価
カナダで成功を収めた彼らは海外進出の先駆的な存在となった。がしかし当時の日本ではフォークソング音楽が全盛を極めており高い演奏力と独自の音楽性を持つ彼らをもってしても大きな成功を収めることはできなかった。
1977年、日立のテレビのCMソングに彼らの曲が採用され再び注目が集まった。ロックという音楽がまだ日本に定着していなかった頃にすでに全盛期を向かえていた彼らはある意味では不運であったともいえる。
[編集] ディスコグラフィ
カテゴリ: 日本のバンド | ハードロック | ヘヴィメタル・バンド