パーヴェル・イグナチェフ
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パーヴェル・ニコラエヴィッチ・イグナチェフ伯爵(Павел Николаевич Игнатьев、Pavel Nikolaevich Ignatiev、1870年8月 – 1945年)は、帝政ロシアの政治家。1915年から1917年までニコライ2世の下で、ロシア帝国文部大臣兼宮中顧問官を務めた。
父はアレクサンドル3世の時代に内務大臣を務めたニコライ・パヴロヴィッチ・イグナチェフ伯。1903年4月16日ナターシャ・ニコラエヴナ・メスツェレスキー公爵令嬢(1877年-1944年)とフランスのニースで結婚し、5人の男子を儲けた。
1918年ロシア革命が起こると、イグナチェフは家族とともにヨーロッパに亡命した。イグナチェフはニコライ2世の閣僚中、唯一処刑を免れることができた。1925年イグナチェフ一家はカナダに移り、3年後、ケベック州上メルボルンUpper Melbourne に定住した。イグナチェフの一子、ゲオルギー(ジョージ)・イグナチェフw:George Ignatieffはカナダの著名な外交官となった。孫の一人、マイケル・イグナチェフw:Michael Ignatieffは、作家でハーバード大学教授であり、カナダの下院議員である。
[編集] 参考
- Count Ignatieff address to the Empire Club of Canada
- "Countess Ignatieff". New York Times, 30 Aug 1944: 17.
- Index with link to Ignatieff genealogical information
- "Nicholas Ignatieff". New York Times, 30 Mar 1952: 93.
- Russians in Exile