パシフィック・ミュージック・フェスティバル
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パシフィック・ミュージック・フェスティバル(Pacific Music Festival 略称:PMF、ピー・エム・エフとも)は、1990年にレナード・バーンスタインの提唱で始まったクラシック音楽の国際教育音楽祭である。毎年7月に札幌市を中心に開催される。財団法人パシフィック・ミュージック・フェスティバル組織委員会が主催する。
「PMFアカデミー」が音楽祭の中核をなし、オーディションで選ばれた若手音楽家が「オーケストラ」と「コンポジション」の各コースで、ベテラン指揮者・演奏家らの指導を受けるとともに、オーケストラは数回の演奏会を行う。また音楽祭の期間中、地元公共施設などで参加する若手音楽家による室内楽などの企画も行われ、市民が音楽に親しむ機会を提供している。
バーンスタインは、環太平洋地域の若手音楽家を集めたアジアでの教育音楽祭を企画していた。彼は長年故郷に近いボストンの「タングルウッド音楽祭」で若手演奏家の指導に尽力してきたが、それをアジアにも拡大したいと願ったのである。最初の構想では開催地は北京であったが、1989年6月の天安門事件の発生により、当地での開催を断念する。札幌を選んだ理由は「梅雨がないから」だったという。第1回の音楽祭では、オーディションで約120人の若手演奏家がオーケストラの楽員に選ばれ、バーンスタインは彼らにシューマンの交響曲第2番を教えた。
バーンスタインは第1回の開催後、肺癌により急逝したため、この時の来日が日本における最後の指揮となった。彼の死後、札幌市が以後の開催と協力を宣言した。間もなく、第1回音楽祭の様子を収録したレーザー・ディスク(LD)『バーンスタイン 最後のメッセージ』がCBSソニーから発売された。
第2回以降は毎回異なる指揮者を招聘して、音楽祭のプロデュースを委託している。オーディションに志願する音楽学生たちも年ごとに増えており、現在では札幌の“夏の風物詩”といえるまでの規模に成長した。