バイオスフィア2
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バイオスフィア2(Biosphere2)、すなわち第2の生物圏とは、アメリカ合衆国アリゾナ州オラクルに建設された、巨大な密閉空間の中の人工生態系である。建設の目的は人類が宇宙空間に移住する場合、閉鎖された狭い生態系で果たして生存することが出来るのか検証すること、あわせて"バイオスフィア1"―すなわち地球の環境問題について研究することであった。
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[編集] 施設概要
バイオスフィア2は砂漠の中にそびえ立つガラス張りの巨大な空間に、熱帯雨林、海、湿地帯、サバンナなどの環境を世界各地から持ち込んだ動植物で再現している。日光によって空気が膨張し気圧が変化するのを防ぐために、巨大な気圧調整室が設けられた。また温度の上昇は防ぐべくもなく、冷却と照明に関しては外界からの電源供給に頼っているが、夢としては太陽光などでまかないたいらしい(宇宙に作るなら放射線を防ぐ施設なども必要だろうし、いかに途方ないかわかる)。実験はこの中で農耕、牧畜を行い食料と水分、そして酸素を自給自足することを最大目的としている。目的達成のために様々な科学的分析なども自らの手で行わなければならないが、廃棄物はすべて狭い生態系を循環するため、通常考えられないほどの高濃度で、食料を介して口に入る可能性がある。従って試薬なども安全性に十分な配慮がなされている。
[編集] 歴史
実験は2年交替で科学者8名が閉鎖空間に滞在し、100年間継続される予定であったが、実際には最初の2年間で途切れてしまった。第1回は1991年9月26日から1993年9月26日まで、その後第2回は1994年に6ヶ月間一時的に行われた。
第1回のミッションで実験生活を行ったのはアビゲール・アリー、ロイ・ウォルフォード、ジェーン・ポインター、リンダ・レイ、マーク・ネルソン、サリー・シルバーストーン、マーク・バンツリオット、ターバー・マッカラムの8名である。実験が継続不可能になった背景には次のような問題がある。
- 酸素不足 ― 事前の計算では大気は一定の比率で安定するはずであったが、土壌中の微生物の働きなどが影響して酸素が不足状態に陥った。また日照が不足すれば、当然光合成で酸素を生産することが出来ず、不足状態は慢性的なものになった。
- 二酸化炭素不足 ― 酸素が不足している状態では二酸化炭素が増え、光合成が行われるはずであったが、二酸化炭素の一部が建物のコンクリートに吸収されていることが途中で判明した。一時的に炭素過多な状況になった場合、植物を刈り入れ乾燥させることで炭素を固定し、その後必要なときにそれを使う方法が用いられていたが、コンクリートに吸収された二酸化炭素は用いるすべがなかった。
- 食糧不足 ― 多くの植物は、以上述べてきた大気の自律調整の難航や日照不足から、予想していたほど生長しなかった。家畜の多くは死に、結果として、バイオスフィア2の食生活は後半に至るほどに悲惨なものとなった。コーヒーなどの嗜好品がごく稀に収穫できたときには、科学者たちは狂喜したという。
- 心理学的側面 ― これはしばしば宇宙空間でも問題になることであるが、外界との交流を一切断ち切られた空間では情緒が不安定になり、対立構図が生まれる。食の不満足や、安全面での不安がそれをさらに強めたといえる。
150億円を地元の資産家らが投じて建設されたバイオスフィア2が8人の人間を短期間しか生存させることができなかったことは、いかに生態系を模倣することが難しいかを物語っている。例えば熱帯雨林の木はすぐに枯れてしまったが、これはバイオスフィア2の中に風がなかったため、木が自らを支えようと幹を強くすることを怠るようになったためだという。このように生態系は様々な複雑な要素が微妙なバランスを保って維持されているのである。
[編集] コロンビア大学による買収
1995年にバイオスフィア2はコロンビア大学に教育施設として売却された。2003年時点で1200人以上の大学院生らがこの跡地で生態系に関する研究活動を行っており、見学者も受け入れている。見学者は2004年4月15日に延べ200万人を超えた。
[編集] 日本での類似実験
閉鎖生態系実験はこれで終わったわけではない。日本では財団法人環境科学技術研究所が青森県六ケ所村で閉鎖空間長期間滞在実験を試みている。
[編集] 参考文献
- 『バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間』アビゲイル・アリング、マーク・ネルソン、平田明隆訳 講談社ブルーバックス ISBN 4062571471