ハリー・パークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハリー・パークス(Sir Harry Smith Parkes,1828年2月24日 - 1885年3月22日)は、幕末期の英国外交官。
イングランドのスタッフォードシャーの鉄工場主の長男として生まれる。しかし少年期に父母が死去したため、1841年に二人の姉を頼って清(中国)に赴いた。1843年、広東のイギリス領事館に勤務する。中国で暮らしていたため、中国語に通じていたのが幸いし、ラザフォード・オールコックに認められて1864年には上海領事となった。翌年には日本駐在の公使となる。
本国英国とフランスとの敵対関係から、フランスのロッシュが幕府を支持したのに対してパークスは薩摩藩・長州藩と接近し、その支援を行なった。しかし一方で幕府にも近づき、条約における税率の改正、兵庫開港などを実現させるなど、巧みな外交手腕を見せている。1868年の戊辰戦争では中立を保ち、他の列強諸国が日本に介入することを防止する役目を果たしている。
明治維新後は、日本に対して西洋文明の導入を推進するなど、日本の近代化に貢献し、日本アジア協会の会長を務めている。1885年、58歳で没した。ある日本人の評価では、「パークスは人一倍剛毅で、威厳のある人物」と評している。