ニコス・カザンザキス
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ニコス・カザンザキス(Νίκος Καζαντζάκης,1883年2月18日-1957年10月26日)はギリシャの小説家、詩人、政治家。異教徒であるトルコ人に支配され、やがて独立する素朴で逞しいギリシャ人とその歴史を謳い上げ、また、一人の人間として悩むイエス・キリストという斬新なキリスト像を描き出した。代表作「アレクシス・ゾルバス[ΑΛΕΞΗΣ ΖΟΡΜΠΑΣ](ΒΙΟΣ ΚΑΙ ΠΟΛΙΤΕΙΑ ΤΟΥ ΑΛΕΞΗ ΖΟΡΠΑ)(別名「その男ゾルバ」)」「キリストは再び十字架につけられる(Ο ΧΡΙΣΤΟΣ ΞΑΝΑΣΤΑΥΡΩΝΕΤΑΙ)」「最後の誘惑」「オディシーア」ど。
カザンザキスはクレタ島北部のイラクリオン(カンジア)の農家の生まれ。1897年、当時のクレタ島の支配者であるオスマン・トルコに対するギリシア人の叛乱が激化すると、一家は難を逃れてナクソス島に避難した。1906年アテネ大学法学部を優秀な成績で卒業する。在学中からアテネの新聞社でコラムを担当していたが、1906年には処女作「蛇と百合」を発表、1907年には戯曲「夜明け」が上演されている。1911年に学友であるガラティア・アレクシウと結婚(1926年離婚)した。
1912年第一次バルカン戦争が勃発すると、志願兵として従軍した。1917年ヨルゴス・ゾルバスという男と共同で鉱山業に手を出して失敗する。この時の経験が「アレクシス・ゾルバス」の基になっている。1919年ギリシア厚生省の局長として、カフカスと南ロシアにいる約15万人のギリシア人難民の帰還事業に取組み、成功する。
1922年ウイーンで仏教の研究をする。その後、ドイツに移り、共産主義と出会う。第一次世界大戦後の荒廃した欧州の中で宗教に満たされないものを感じた彼は共産主義に希望を見出そうとした。しかし、1925年、1927年の二回にわたって訪ソして、ソビエトにおける共産主義を実際に目にすることで、マルクス主義の限界に気付く。1927年はソビエト政府の賓客として訪問しているが、この際、同じく招かれていた秋田雨雀と同行したことが秋田の日記に記載されている。1938年、12年の歳月をかけて作成した叙事詩「オディシーア」を発表する。1941年から1944年にかけて、第二次世界大戦でドイツがギリシャを占領した期間中、カザンザキスはエイナ島にて「アレクシス・ゾルバス[ΑΛΕΞΗΣ ΖΟΡΜΠΑΣ](ΒΙΟΣ ΚΑΙ ΠΟΛΙΤΕΙΑ ΤΟΥ ΑΛΕΞΗ ΖΟΡΠΑ)」等の執筆を行う。
1945年セミストクリス・ソフリス内閣の無任所相として一時入閣すると共に、エレネ・サミオスと再婚した。1946年に代表作「アレクシス・ゾルバス」を発表、ユネスコの古典翻訳部長を勤める。この年以降、死去するまで、ギリシャに戻らなかった。
1948年以降、フランスのアンティーブに住む。この時期に「キリストは再び十字架につけられる」「最後の誘惑」等の後期代表作とも言うべき小説を発表している。1957年、ドイツのフライブルグで死去。遺体はクレタ島に埋葬された。
- 共産主義よりの政治活動を行ったことや、小説内で斬新なキリスト像を提示したり、ギリシャ正教会の否定的な側面を描いたことから、当時のギリシャ国内でも評価が分かれた。1945年、ギリシャ作家連盟はカザンザキスをノーベル文学賞候補として推薦したが、政府の妨害で実現しなかった。また、小説「最後の誘惑」はカトリック教会から禁書扱いをされた。