ドミトリイ・ビロゼロチェフ
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男子 体操競技 | ||
金 | 1988 | 団体総合 |
金 | 1988 | あん馬 |
金 | 1988 | つり輪 |
銅 | 1988 | 個人総合 |
ドミトリー・ビロゼロチェフ(Dmitri Bilozerchev)は、旧ソビエト連邦の男子体操選手である。
[編集] 略歴
- 1983年ブタペスト世界体操選手権で弱冠16歳で個人総合で優勝し、衝撃のデビューを飾った。しかし、翌年のロサンゼルスオリンピックでは個人総合をはじめメダルの量産が確実と言われながら、東欧諸国のボイコットにより出場辞退を余儀なくされた。
- 1985年のモントリオール世界体操選手権の前には、自動車事故により瀕死の重傷を負い、再起不能とまで言われたが、1987年ロッテルダム世界体操選手権で団体総合、個人総合、あん馬、鉄棒の4種目に優勝し、見事に復活した。ソウルオリンピックでは、団体総合、あん馬、つり輪で金メダルを獲得するも、彼が悲願としていた個人総合では団体前半規定鉄棒の思わぬ失敗がもとで、銅メダルにとどまった。