トレボニアヌス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トレボニアヌス・ガルス(Gaius Vibius Trebonianus Gallus, 206年-253年8月)はローマ皇帝(在位251年6月-253年8月)。
イタリアで由緒ある元老院階級の家庭に生まれた。アフィニア・ゲミカ・バルバリーナとの結婚により二人の子を得た。後に皇帝となる息子ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌスと娘ウィビア・ガラである。この当時の名門の子弟と同じように、軍事と政治の両方の職を経験し、250年に執政官を勤めた。のちモエシアの総督に任命され、ローマを離れた。これは皇帝デキウスの信頼を示すものであった。モエシアで、ガルスはゴート人からドナウ川をよく防ぎ、軍人として声望を得た。
251年7月1日、デキウスと共同皇帝ヘレニウス・エトゥルスクスは、ゴート人の来襲を防ごうとしたアブリットゥスの戦いで戦死した。ホスティリアヌスが皇帝の座を受けていたものの、二人の戦死の報を受け、軍隊はガルスを皇帝と宣言した。ローマはホスティリアヌスの帝位を認めたものの、ホスティリアヌスは同年疫病のために死亡し、これによってガルスは無血で皇帝の座を手に入れ、息子ウォルシアヌスを共同皇帝と宣言した。
ガルスの治世は安定したものではなく、ペルシアのシャープール1世によるシリアの侵略や、ゴート人の来襲に悩まされた。軍隊はガルスを支持せず、モエシアおよび上パンノニアの総督であるアエミリアヌスがゴート人を退けた後、アエミリアヌスを皇帝と宣言した。アエミリアヌスは皇帝の座を得るためローマに進軍し、これを迎え撃とうとしたガルスは息子ウォルシアヌスとともに自陣内で殺害された。
アエミリアヌスは元老院から皇帝として認められ、3ヵ月統治した。しかし皇帝位を請求するためレーヌス(ライン川河畔の地方)総督ウァレリアヌスがイタリアに進軍してきた251年9月、自分の軍隊によって暗殺された。
先代皇帝: デキウス (249年 - 251年) |
ローマ皇帝一覧 | 次代皇帝: ウァレリアヌス (253年 - 260年) |