テルセイラ島
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テルセイラ島(Terceira)は大西洋上のアゾレス諸島の島、ポルトガル領。島の人口はかつて5万9千人ほどであったが、現在は55,833人。面積は396.75 km²でアゾレス諸島中第3の大きさをもつ。火山島であり、島の最大地点はセッラ・デ・サンタバルバラ山の1023 m。 セッラ・デ・サンタバルバラ山は成層火山で、最近の噴火は2000年。
主な街はアングラ・ド・エロイズモおよびその西に隣接するプライア・ダ・ヴィトリア。最大の街であるアングラ・ド・エロイズモは、かつてはアゾレス諸島の首都であった。中心部には、大聖堂をはじめ18世紀までに築かれた歴史的景観が残り、世界文化遺産に登録されている。現在もアゾレス地域圏の司法上の中心がおかれる。
主な産業はパイナップル栽培を中心とする農業。
[編集] 地理
アゾレス諸島の中部群島を構成する。島は東西に29 km、南北に18kmの幅をもつ。美しい景観で知られる。島の西部は緑に富み、農業が盛ん。北部はセッラ・デ・サンタバルバラ山を中心とする火山地帯である。島南部のアングラ・ド・エロイズモには港と空港があり、ホルタおよびポンタ・デルガダへの定期便がある。
アングラ・ド・エロイズモの港は、現在はもっぱら地方の交通にのみ用いられているが、かつては大西洋上の中継地として重要な戦略拠点であった。現在もアングラ・ド・エロイズモには海軍軍司令部、海軍学校、米軍基地などの軍施設がおかれている。米軍基地はしばしば欧米首脳の会談地として登場する。
[編集] 歴史
当初はブラジル島と名付けられた。最古の言及は1436年のヴェネツィア製の地図にみられ、"I. de Brazi"として登場する。ヨーロッパ中世の伝説の島ブラジルと同一視されたことがあるが、名前の由来はこの伝説の島ではなく、スオウノキのポルトガル名ブラジル(赤い木の意)によるものとされる。入植が進むにつれ、テルセイラ島と改名された。ブラジルの名は現在もアングラ・ド・エロイズモに隣接するブラジル山に残る。
アングラ・ド・エロイズモにはアゾレス諸島の首府がおかれ、海軍の拠点として軍隊が駐留し、ローマカトリックの司教座がおかれた。ポルトガル内戦においては、1830年から1833年まで、マリア2世の宮廷所在地となった。
1892年以降1906年まで、アゾレス諸島は三つの行政区に分割され、テルセイラ島は、サンジョルジェ島、グラシオーサ島とともにアングラ行政区に編入された。首府はアングラ・ド・エロイズモにおかれた。
のちにアゾレス諸島全体がひとつの行政区に再編されると、アングラ・ド・エロイズモはその司法上の中心となった。