テュイルリー宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テュイルリー宮殿(テュイルリーきゅうでん、仏:Palais des Tuileries)とは、17世紀から19世紀まで使用されていたフランスの宮殿。ルーヴル宮殿の西側に隣接する。また、チュイルリー宮殿とも表記される。
1563年に当時の摂政であった王母カトリーヌ・ド・メディシスが建造を命じ、約100年の時を費やして完成した。
1664年にはルイ14世の命で、ヴェルサイユ宮殿の庭園なども手掛けたル・ノートルによって泉水や散歩道などが整備され、現代に残る庭園を作り上げたが、1683年に王宮はヴェルサイユ宮殿に移る。再びテュイルリーに王宮が戻るのは、フランス革命の最中であった1789年のことであった(ヴェルサイユ行進を参照)。革命によりルイ16世が捕らえられたのちは、国民公会、公安委員会の拠点として使用される。
のちにナポレオン・ボナパルトが再び王宮としたが、1871年のパリ・コミューンの際に焼失し、現在では庭園のみが当時の面影を伝えている。
[編集] 伝説
テュイルリー宮殿の主が変わるとき、その前触れとして赤い服を着た男の幽霊が屋根の上に現れるという言い伝えがあった。一説には幽霊ではなく、サンジェルマン伯爵だともいう。