ティモシー・ダルトン
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ティモシー・レナード・ダルトン(Timothy Leonard Dalton, 1946年3月21日 - )はイギリス・ウェールズ出身の俳優。マンチェスターで育つ。
子供の頃から演じることに興味があったが、16歳の時『マクベス』の舞台を観て本格的に俳優を志す。高校卒業後は王立演劇学校に入学し、そこで2年学んだ後、バーミンガムの劇団に入団するため学校を去る。それから間もなくテレビ出演を重ねるようになり、1968年『冬のライオン』で銀幕デビューを飾った。
1987年、イギリスの大人気シリーズ映画『007』の4代目ジェームズ・ボンド役として、シリーズ第15作『007 リビング・デイライツ』と 第16作『007 消されたライセンス』に出演した。ショーン・コネリー、ロジャー・ムーアという2大「長期政権」の後でダルトンの起用を危ぶむ声も多かったが、若々しく活動的な新しいボンド像を作りあげた功績は大きい。一方で「冷酷に見える」「鋭すぎる」という批判があり、出演は2作に止まった。 故・ダイアナ妃がワシントンD.C.の英国大使館で『007 リビング・デイライツ』を見た際に「最も、リアルなジェームズ・ボンド」と評した事は有名。 近年はテレビ映画への出演が多い。
[編集] エピソード
ジェームズ・ボンド役のオファーは『女王陛下の007』の時にも受けているが、この時ダルトンは「自分には若すぎる」と言って断っている。また、『007 ムーンレイカー』の興行的失敗を受けてロジャー・ムーアが降板の意思を示した際、『ユア・アイズ・オンリー』のボンド役として、再び彼にオファーを出しているが『ココ・シャネル』への出演が決まっており断念。3度目のオファーとなった『リビング・デイ・ライツ』でついにボンド役を襲名することとなった(この時ダルトンがオファーを断っていたら、4代目ボンドはピアース・ブロスナンの起用を考えていたという)。 三顧の礼を尽くしてまでダルトンにオファーを出した事を考えると、いかにプロデューサーのアルバート・R・ブロッコリが彼をボンドとして高く評価していたか、容易に推測できよう。前述の故・ダイアナ妃のエピソードが示すように、『007』の原作を熟読したファンの間では、彼こそが正統派ジェームズ・ボンドであるとの呼び声も高い。
[編集] 出演作
- 冬のライオン The Lion in Winter(1968年)
- クロムウェル Cromwell(1970年)
- 嵐が丘 Wuthering Heights(1971年)
- アガサ/愛の失踪事件 Agatha(1979年)
- フラッシュ・ゴードン Flash Gordon(1980年)
- ココ・シャネル Chanel Solitaire(1981年)
- 007 リビング・デイライツ The Living Daylights(1987年)
- 007 消されたライセンス Licence to Kill(1989年)
- アメリカン・アウトロー American Outlaws(2001年)
[編集] 外部リンク
- ジェームズ・ボンド
- 4代目
-
- 先代:
- ロジャー・ムーア
- 次代:
- ピアース・ブロスナン