チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群
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チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群 (ラオス) |
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ワット・プー(南側の宮殿と聖牛殿) | |
(英名) | Vat Phou and Associated Ancient Settlements within the Champasak CulturalLandscape |
(仏名) | Vat Phou et les anciens établissements associés du paysage culturel de Champassak |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(iii) (iv) (vi) |
登録年 | 2001年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群(ちゃんぱさっくけんのぶんかてきけいかんにあるわっとぷーとかんれんこだいいせきぐん)はラオス・チャンパーサック県・チャンパーサック郡にあるワット・プー(ヒンドゥー寺院の廃墟)とその周辺を取り巻く遺跡群の総称である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に指定されている。
※ワット・プーの詳細はそちらを参考のこと。
目次 |
[編集] 概要
少なくとも、6世紀頃にはチャンパーサック県の地域に文明があったと見られている。後の10世紀頃から、この地域へのクメール人の進出が本格化し始める。タイのピマーイなどに見られる遺跡もクメール人の王朝が隆盛を極め、北部に盛んに進出していたこの時代のものであると言うことが言われいる。同様に、この遺産の中心であるワット・プーもこの時代以降に作られたと見られている。これらの時代に作られた遺跡は、主に当時のクメール人の宗教であったヒンドゥー教をコンセプトにして作られていた。
しかし13世紀頃からタイ・ラーオ系民族がこの地に南下し始める。後に彼らがこの地を占拠する頃には、上座部仏教が浸透していたため、ほとんどの遺跡が上座部仏教寺院としての扱いを受けるに至った。特にワット・プーは元々は城であったが、ラーオ族によって寺院として位置づけられた。
[編集] 登録経緯
ラオス政府は1988年、ワット・プーを含む地域と、近隣の他の寺を中心とする2地域、合計3地域からなる広域な地区を、ワット・プーの関連遺跡および周辺の自然を守るために保護地区に指定した。1997年には大統領令により、遺跡の保護枠が明確に定められ、保護がさらに積極的に行われるようになった。開発面では1995年・1996年に、ワット・プーを持つチャンパーサック県の観光開発・インフラ整備が行われた。これにより遺跡は観光地として注目を集めはじめ、1997年からは観光客が激増、以前に比べ倍増した。同年、日本やイタリアの基金がこの地域に投資したことにより、さらに開発が進められた。このころより、世界遺産への登録が言われ始め、2001年にはラオス政府の承認を得ないまま、ICOMOSに推薦され、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
- (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
- (vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
詳細は、ワット・プーの寺院群が東南アジアそして、とりわけ10世紀 - 14世紀に君臨したクメール王朝の他に類を見ない優れた証拠を生んだこと(iii)、ワット・プーの寺院群と、その周辺の自然環境の宗教的な意義をもつ象徴的地形との融合を示す例として、際立っていること(iv)、自然と人間の関係のヒンドゥー的を表現しようとしたものとして、ワット・プーは注目に値する複合遺跡や、山と川の間にあるその他の建築物すなわち、際立った建築、それに含まれる幾多の芸術やすべての宗教的罪悪や義務を表現したものを示している(vi)である。