タマリネ・タナスガルン
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タマリネ・タナスガルン(Tamarine Tanasugarn, 1977年5月24日 - )は、タイの女子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは19位(2002年5月13日付)。当地のテニス選手として、国際的なレベルに躍進した最初の名選手である。2歳年下に当たる男子のエース、パラドーン・スリチャパンはタナスガルンの足跡を追って世界に旅立った。アジアの女子テニス界を代表する選手として、日本女子のトップ選手である杉山愛や浅越しのぶと並ぶ存在でもある。タナスガルンはウィンブルドンにめっぽう強い選手で、過去6度の4回戦進出がある。WTAツアーでシングルス1勝、ダブルス5勝を挙げている。両親ともタイ人であるが、タナスガルンの出身地はアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスである。そのため、彼女はタイとアメリカの2重国籍を持つ。身長165cm、体重63kg。
タマリネ・タナスガルンの父親は、1960年のローマオリンピックと1964年の東京オリンピックでバスケットボールの五輪代表選手を務めたほどの実力者だった。タマリネはアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、5歳の時に両親の故国タイの首都バンコクへ引っ越した。家族揃ってテニスをする恵まれた環境の中で、4人兄弟の家庭に育ち、1994年にプロ入りする。1996年、タナスガルンは19歳の若さでアトランタ五輪のタイ代表選手として旗手を務めた。1997年度の4大大会では、全仏オープンを除く3大会で3回戦に進出する。タナスガルンが国際的な名声を獲得したのは、1998年全豪オープンでの活躍だった。この時の3回戦で、タナスガルンは1997年の全仏オープン優勝者イバ・マヨリ(クロアチア)を 6-0, 6-2 で圧倒した。マヨリが前年の全仏オープン優勝者として“1997年度の4大大会でマルチナ・ヒンギスを破った唯一の選手”と称賛を集めていただけに、タイ人選手の圧勝は世界の観客を驚かせた。続く4回戦ではフランスのサンドリーヌ・テスチュに 6-3, 1-6, 2-6 の逆転で惜敗する。ウィンブルドンでは1998年-2002年(5年連続)と2004年の6度にわたり、4回戦まで進出しているが、ベスト8の分厚い壁に阻まれている。しかしウィンブルドンのシングルスでは通算「21勝9敗」の成績を挙げ、日本のスター選手だった伊達公子や沢松奈生子を大きく上回る。
2003年度はダブルスでマリア・シャラポワとコンビを組んだ優勝が2つあった。1つはルクセンブルクの大会で、もう1つは日本の「ジャパン・オープン」である。シャラポワはジャパン・オープンで単複2冠を獲得し、世界への第1歩を踏み出したが、ダブルスのパートナーがこのタナスガルンであった。
タイの至宝選手であるタナスガルンも、現在はベテランの域に入り、インドの新星サニア・ミルザがアジアの女子テニス選手として目覚ましい躍進を見せている。